◎「背盛字銭の新研究」を読む (その3) 暴々鶏
報告文を「読む」ことの意味は、単に「眼を通す」ことに留まらず、一言一句を吟味し、書き手の文脈(意図)に沿った意味を解釈することにある。この「背盛字銭の新研究」や『岩手に於ける鋳銭』については、冒頭から百の問題があるのだが、これは読み始めるとすぐに疑問を覚える性質のものだ。
背盛という銭種だけでなく、盛岡・八戸の両南部藩の鋳銭事情には疑問点や矛盾点が多々存在しているのだが、過去においてこれらが問題とされたことは「ほぼ無い」と言ってよい。
このことを長らく不審に思っていたが、数年前に簡単な事実に気が付いた。
それは「収集界では、誰も原典を読んだ者はいない」ということだ。
字面を追って、自分に都合の良い言質だけを拾い、自己の収集品自慢に利用してはいるが、意味を考えたことのある者はいない。だから、これまで疑問を覚えることがなかったのだ。
私は既に「収集」を卒業したが、「研究」は死ぬまで続く。よって、今後は、原典に於ける疑問点を逐一抽出し、検討を加えて行くものとした。幾度も言う通り、これにはかなりの「残念なお知らせ」を含んでいるわけだが、その問題点についても証拠を上げて明らかにしていく。
◆(脇話)「背盛字銭の新研究」掲載の銭影について
さて、「背盛字銭の新研究」(以下、「新研究」と略す)には、「江戸公営銭座の原母」に関する記述があり、盛岡藩では大迫開座後に「盛字を背に配すべし」という幕府の命令を受け、「盛」字銭を作成した由が記してある。
この場合のつくり方として、小田嶋は「既存の母銭(江戸より見本提供された母銭)の背面に「盛」一字を嵌入することは簡単だっただろう」と述べている。
文脈上は、この証拠品として、次の銭種を掲げるとし、七枚の銭影を配置している。
ここでの最初の疑問点は、前回記した通り、「銭径が小さすぎる」という点だ。
当四銭は、明和四(1764)年の深川銭が最初だが、鉄の当四銭が登場するのは万延元(1860)年でほぼ百年後になる。金銀の間に交換相場があったように、原則として銅鉄の間にも相場があった筈だが、日常的な小口使いの扱いがどうだったかはよく分からない。おそらくは「銅何文で、鉄なら何文」とぴう使われ方をした筈だ。この場合の基準が地金事態の価値にあったことは明白で、幕末明治初期には鉄銭は秤量で計算された記録がある。鉄銭の密鋳が盛んに行われるようになってからは、胴一文に対し、鉄六文は当たり前だったし、一文相当と思しき鉄の括り銭には十枚以上を日と束ねしたものもある。
とはいえ、慶応二年の段階では、鉄銭鋳造の前例は、前掲の万延精鉄銭と、慶応元年の水戸藩による背ト及びその無背銭しかない。
盛岡藩が新規に鉄銭を鋳造しようというのに、果たして前例の規格から大きく外れた銭を作ろうとしただろうか。
掲図の(一)は、初期の背盛銭として掲げられたものだが、銭径が一文背文銭程度の大きさしかない。
金属の量で見ても、銅当四銭よりも鉄銭の方が少なくなっている。常識的には、「到底、四問として受け取っては貰えぬ」規格だ。
もちろん、「だから、稟議段階で除外された」という理屈も語れそうだが、鉄銭鋳造の稟議過程に留まる銭としては、現存銅銭のバラエティが多過ぎる。
それ以前に、この銭影がどの程度、実在の銭を反映させているかを観察する必要もある。
まずは、印刷をどのように行ったかを確認することが必要と思われる。
いちいち原本を掲示しているのは、これが謄写版印刷、すなわち通称ガリ版刷の出力紙に見えるからで、この場合は図版をそのまま印刷に載せるのは困難だ。1)拓本を台に敷いた版下に鉄筆でなぞって書く必要がある。あるいは、2)銭影の部分を印刷せずに空欄にして置き、別途拓本を貼り付けるという手法しか選択肢がない。
昭和初期であるから、既に平版印刷(リトグラフなど)も使われるようになっているから、3)こちらであれば、図版をそのまま版下に載せることは可能だ。こちらの場合は、費用面が問題で、研究会組織の会報の印刷にリトグラフを使用する予算が得られたかどうか。
この件について、過去の調査を検索してみたが、平成二十年頃に検討結果を資料として作成してあった。今回、問題点を簡単井取り纏めて来たが、概ね下記の通りとなる。
◆下点盛(「降点盛字銭」)に関する疑問点
(1)出発点である「背盛字銭の新研究」の銭影は、現品の情報を正確に反映していない可能性がある。
「拓影もしくは現品を下敷きにして、謄写版原紙に針筆で描いた」
もしくは
「紙面節約のため、目視で銭型を縮小して手書きした」。
(2)小田嶋がこの「新研究」で取り上げたのは、(一)の品についてであり、これは大迫で発見されたもの。これは(二)以下の宮氏旧蔵品の系統とは書体が異なる。
(3)「新研究」の掲図(二)以下の品は、ほぼ全品が「宮福蔵」の蔵中を経由した品で、確認出来る限り例外はない。
現品の出自や系統を調べるだけで、かなり「うすら寒い話」になっている。
現品の出自や系統的な解釈は、本稿の目的とは違うので、これはここまでにとどめ、「新研究」の報告文の解読・解釈に戻ることにする。
どうやら、この項に関する小田嶋の意図は、文面で読める範囲とは別なところにあったようだ。