◎「背盛字銭の新研究」を読む(その3補足) 暴々鶏
このシリーズは現存品の分類や鑑定を志向するものではないから、これについてはあくまで脇話の類になる。前回の話は、あくまで出発点である「新研究」の内容に関わるところの銭影(型)について、幾つか問題点があることを示すものだった。
前回漏れていた銭容についての情報を幾つか補足する。
(4)現存品数例を見ると、輪側処理(研磨)方法は、横鑢(真横)か、未処理である。
前者は、盛岡藩の公用背盛母銭としては類例が少ない。この場合の「公用」とは、大迫、栗林、橋野といった公営・請負銭座において「実際に使われた」という意味である。
後者(未仕上)は、類例がない。
ちなみに、「銭径が著しく縮小し。輪側処理をしない」傾向については、「砂型で作成しなかった」という見方もあるが、これについては、全体を読んだ後で再考する。
何故、この銭種が小さいのかという疑問に対しては、
イ)出発点においてそもそも小さかった
ロ)印刷上の都合(情報縮約)のために小さく表した
という二通りの見方がある。
なお、現存品は「新研究」掲載の銭影に一致するが、ロ)の場合は、「銭影(拓)を基に新たに作成した」ということになる。
ここで現品の照合に関する問題点を改めて捉え直すと、
「初期段階において、型(サイズや書体)が著しく違うが、とりわけ小田嶋所有の品と、宮所蔵の品との違いが大きい」ことが挙げられる。
小田嶋が冒頭で、あえて「既存の銭の背に、盛字を配することは容易だった筈だ」と述べたのには、一定の含意がある。
「降点盛字銭」はこの当時は「既知」の銭種で、新渡戸仙岳の作成した『南部藩銭譜』にも掲載されているわけだが、小田嶋は当時の現存品について「疑義を提示した」格好になっている。
「背盛字銭の新研究」という表題は、そういう既存の見解に対する「異議申し立て」だった可能性がある。
次回より、「新研究」本編の読解に戻る。(続く)
備考)画像をグレー変換したのは、所蔵元を特定できぬように配慮したことによる。
現存品の銭種(書体)は二系統あるようだが、これまでは一種しか行き当たらなかった。