日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎病棟日誌 悲喜交々10/10 「一喜一憂」

病棟日誌 悲喜交々10/10 「一喜一憂」
 まずは「帰って来た四文字熟語」から。 久々に考えさせられる出題に出会った。
 出題は「一▢一▢」。
 回答が難しいのではなく、選択肢が複数あり、そのうちのどれを出しているのかを推測するのが難しい。
 ここは病院だから、苦集滅道のうち「苦集」の部分は排除してある。「盛者必衰」みたいなのも出ない。

 候補は山ほど。
 「一日一善」:なぜか浪越徳次郎さんの顔が思い浮かんだが、この人は「指圧のこころは母心・・・」だから、この人ではないよな。極め言葉にこれを言った人は誰だったか。
 「一宿一飯」:木枯らし紋次郎でござんす。
 「一喜一憂」:こりゃ当方のことだな。
 「一字一句」:噛んで含める気持ちで言うべきだが、雑な性格の当方には無理。そもそも「嚙んだものを」渡すなど気持ちが悪い。
 ばんばん出るぞ。うーん。
 「一進一退」まで来て、「病棟内では縁起が良くないよな」と考えさせられところで、タイムアウト
 エレベーターの答えは「一朝一夕」だった。
 ふーん。「ローマは一朝一夕にはならず」(違うか)。

 左目が見えるようになったが、習慣的に右眼で見る癖がついているので、これが治らない。真剣に見ようとすると、つい左眼を瞑り右眼で見てしまう。右眼を酷使するので、こっちの視力が落ちて来た。疲労を溜めると出血も起きるようで飛蚊症が始まっている。やめて。今度はこっち?

 眼が改善され、文字が見えるようになったのと同時に、「現実も見える」ようになり、問題が山積している。
 眼に気を取られている時には、全身の具合のことも後回しだったが、眼が見えるようになると、余り具合が良くないことに気が付いた。秋になり、急に気温が下がって来たから、例年の通り、季節の変わり目の不調が来ているわけだ。
 春と秋には、歩くのもしんどくなるが、帰路はさすがにキツい。

 おまけに、前が見えぬ時に「心眼」で「気配を感じ取る」ようにする習慣もついていたから、余計に按配の悪さを感じる。
 何だかわさわさ寄り憑いていやがるなあ。
 「俺が仲間になるところを見に来ているのかよ。そうは行かねーぞ」と口走りつつ、重い足を進めた。
 あるタレントが「死んだ人が幽霊になるのなら、生きている者よりも死んだ者の方が多いのだから、この世は幽霊だらけになる。だから存在しない」と言っていたが、前半は正しくて、「幽霊だらけ」であることは間違いない。ただ、実体化することは稀で、意識だけの存在だから、気付き難い。また、心に入り込まれても自覚し難い。ただそれだけ。

 今日の「病院めし」は炒飯だった。殆ど単品に近いし、あまり旨くは無いのだが、「食うのも仕事だと思え」と黙々と食べた。
 帰路は歩くのもおぼつかぬが、ようやく帰り着き、すぐに倒れて夜中まで寝ていた。
 まさに「一喜一憂」の日々が続く。

 そう言えば「一期一会」というのもあったな。