日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎不用意だった

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令和三年九月三十日 ある病院の正面玄関にて撮影。

◎不用意だった

 一昨日、病院の玄関にあの世の者たちがたむろしているのを目の当たりにした。

 こういうのは目視確認が難しく、普通の可視域で、かつ観察経験が乏しい人では「何のことか分からぬ」ことがほとんどだ。「おかしい」と気付く者も少ない。

 もちろん、他者が理解してくれることは不必要で、知見を自分の生活に反映できればそれでよい。

 棺桶には一人分のスペースしかないのだから、それでよい。

 

 病棟の看護師長に、「時々、玄関を開けて、風通しを良くした方がよい」と助言するつもりだったが、生憎、この日師長は休みの筈だった。

 この病院では、師長以外に「あの世」に関わる話をしないから、次回まで待つ必要がある。

 「ではとりあえず、もう一度玄関に行こう」

 デジカメを持参するようにしたので、スマホよりはましな画像が撮影出来る。

 

 人気のない正面玄関に着いたのは、まだ七時前のことだった。

 異変を撮影するも何も、完全にTPOから外れている。撮影には不適だ。

 ま、病棟の受け付けは八時からだから、長椅子に座り、休んで行くことにした。

 途中で、一応撮影することにしたが、鞄に入れた筈のデジカメが見つからない。

 「確実に入れたと思っていたのだが」

 底までさらったが、デジカメは姿を消していた。

 

 「仕方ない。またスマホだ」

 玄関前に人気は無い。閉鎖されているのだから当たり前だ。

 一枚目を撮り、すぐに開くと、何だか人影が見える。

 「ありゃ。この時間帯なのに」

 だが、よく調べると、物陰が人のそれっぽく見えただけのよう。

 「なあんだ」

 続けて二枚目三枚目を撮影した。

 そっちの方には、不自然な黒い影が見える。人の姿をしていないが、やはり不自然で、午後に来て、外側から撮れば、実態が分かったかもしれん。

 今のところは、「可能性がある」という程度だ。

 「あの世現象」を観察する時には、「疑って掛かる」のが基本で、これは両面からの姿勢が必要だ。

 要するに「ただの自然現象なのに思い込みから決め付けていないか」、「実態にそぐわぬエセ科学的なこじつけを冒していないか」の両方を疑うということだ。

 多くは「想像や妄想」、「気のせい」なのだが、仮にそうでない異変を見落とすと、私の場合は命に関わる。

 

 「まずは、とりあえず風通しを良くすることだ」

 それが何であろうと、玄関を掃除して、空気を入れ替えるのは必要なことだ。

 八時が近づいたので、そんなことを考えつつ病棟に向かった。

 

 だが、一時間ほど玄関のソファに座っており、そこで少し長居をし過ぎたらしい。

 エレベーターに乗った瞬間に、具合が悪くなった。

 「こりゃ不味い。俺としたことが安易に振舞い過ぎた」

 着替えをして、自分のベッドに向かうと、体調不良が歴然な状態だった。

 看護師が来て、血圧を測ったが、二百二十くらいまで上がっている。

 「大丈夫ですか?寝不足?」

 ま、夜中じゅう原稿を書いたから、血圧は上がっていそうだが、二百超えは高い。

 十五分後に再検することになったので、そのままベッドで横になっていた。

 時刻が来て、もう一度計測すると、今度は百しかない。

 看護師がその値を見てあきれた。

 「十五分しか違わないのに、百以上下がってますね。先生が来たら相談しますか?」

 「あ。いいよ。大体は想像つくから」

 

 すると看護師は真顔で私に訊いた。

 「もしかして、アレが来てます?」

 あ、こりゃ師長のヤローだな。私の噂話を他の看護師にしていたということだ。

 ま、枕元にコップ一杯の水を置いていた期間があるから、この看護師も「これは何か」とは思っていたのだろう。

 「別に何でもないよ。私の心臓にはコテコテに罹病歴があるからね」

 そもそも、今は不整脈が著しいから、血圧計がまともに動いてくれない。

 

 話を散らすために、心臓の話をした。

 「昔、冠状動脈が三本とも塞がった時があって、治療で命は助かったけれど、その後何年も後遺症で苦しんだんだよ」

 何せ不整脈が酷い。

 著しい時には、二十秒くらい心臓が「一時停止」している時もあった。

 その症状を内科の医師(主治医ではない)に伝えたことがあるが、医師はゲタゲタと笑い、「そんなことはありませんよ」と言った。

 体感的には「二十秒」ではなく「一分間」ほどに思えるから、そのまま「一分くらい心臓が止まる」と言ったせいもある。

 医師は「じゃあ、ちょっと測ってみましょう」と脈を取り始めた。

 心臓の発症はそもそも短時間だけだから、検査の時に発症していることは少ない。

 だが、この時はどんぴしゃで脈が止まったのだ。

 十秒を越え、二十秒近く脈が取れぬことを知ると、その医師は目を丸くして、「ありゃ、本当だ」と漏らした。(うろ覚えの記憶では、「ほんまや」と何故か関西っぽい表現を使ったと思う。関東人なのに。)

 

 皆さんの知らぬ事実(現実?)をここで記すと、こんな風に心停止している時には、「あの世(幽霊)」を目視しやすくなる。心臓が小休止すると、その瞬間から体を動かすことが一切出来なくなるのだが、その代わり、目の前にいる医師の背後に立っている人影を眼にするようになる。

 死が間近に迫った者が幽霊やお迎えを見たりするのは、実際、その通りの意味で、「死が近くなっている」ということだ。

 医師はそのことを「心神耗弱」が見せる妄想だと言うだろうが、前段で記した通り、それは物ごとの「半分の側面」でしかない。

 

 私は普段、慎重な方なのに、幽霊が溜っているかもしれぬ場所に自ら行き、一時間の間、自身の姿を晒した。先方から私は見え易いのだから、ゾロゾロと後ろについて来ているかもしれん。

 やはり不用意だったと言える。

 だが、こういうことの解決法は割合簡単だ。

 彼らは生前の習慣通りに通院しているだけだから、「時々、玄関を開け、出入りさせてやればよい」ということだ。それで心が満たされる。何をするわけでもしたいわけでもなく、中に入ればそれで安心して、いなくなる。病院は生ける者も死せる者も、「長居はしたくない場所」だということだ。

 

 ちなみに、帰宅して鞄を開くと、デジカメは分かりよい位置に入っていた。

 ここは「断り無く撮影しようとしたから」かと思ってしまう。