日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎病棟日誌 悲喜交々8/27 「聖母のオーラ」

病棟日誌 悲喜交々8/27 「聖母のオーラ」
 画像はこの日の病院めし。
 とんかつは、一般サイズの1/3か1/4くらい。小さく薄いし、赤身だからすごく固い。だが、湯通しキャベツが添えてあり、雰囲気がソースかつ丼に近いから、それなりに食える。
 この病院は病院食が割とまともで、量が少ないこともあり、きちんと全部食べられる。病院によっては、やたら不味いところもあり、当方が通っている別の病院のは、ちょっと箸が付けられない水準だったりする。
 みかんを花弁状に並べるのも配慮の表れで、意図的にこうしていると思う。何百食も作るからこんなことをやってはいられない筈だが、腎臓病棟は配膳が最後なので、「午前の仕事の終り」ということで、こうする気持ちの余裕が生じていると思う。
 今年の春からだから、新規に入った配膳係に気の利いた人がいるということ。
 「五十台前半の女性で、子どもは三人。今は離死別してダンナはいない」
 当方はこういうのを推定するのが得意で、配膳の一つひとつにその根拠がある。八千人も面接してれば色んな想像がつく。

 ベッドに居ると、師長がやって来た。
 声を落として、耳元で囁く。
 「今度、ホニャララ課にカワイイ子が入ったんですよ」
 おいおい。ポン引きが客引きで使うような言い回しだぞ。
 「え。皮膚科の女医さんとどっちがきれいなの?」
 この病院では、この皮膚科の女医がとにかく美人で、さしたる異常がなくとも診察を受けに行きたくなるほどだ。
 だが、ここで思考が立ち止まる。

 「『カワイイ』というのと『きれい』は違うよな」
 きれいな女性は、よく見ると、どこがどうというより、全身からきれいさが滲み出ていたりする。顔かたちはあまり関係が無く、頭と首、肩甲骨の配置のバランスとか、単純な美醜以外の要素の方が大きい。
 すると、師長が「ここの病院には、あんまりきれいな看護師がいないんですよ」と半ば愚痴った。
 「おいおい。そういうのは、立場上、口にしてはいかんのじゃないのか。患者の方だって、もし陰口めいたことを言って、直接患者に接する看護師に嫌われでもしたら、命に関わる」
 頼りになるのは、オバサン看護師だし。
 と言っても、師長はまだ五十台前半で、女子方面も現役だ。
 風俗にも行くし、それをひた隠しに隠しもしない。
 ま、風俗は恋愛ではないのは確かで、同僚や部下に手を着けるのとは違う。積極的に肯定もしないが、別に個人の自由だ。

 ここで、あることを思い出した。
 「『カワイイ』と『きれい』の他に、『オーラが出ている』というのもあるんだよ」
 五六年前、曼殊沙華の花を見に某公園に行った。
 ものすごい混雑で、公園の中では何千人かが花を見物していた。
 その混雑した道を歩いていると、向こうから母子がやって来た。お母さんは三十歳前後で、子どもは一歳くらい。お母さんはその子をベビーカーに入れて押していた。
 色白のほっそりした女性だったが、何だかその人の周りが光り輝いて見える。「美人」とか「カワイイ」という尺度、次元の話ではなく、「光り輝いて見えた」のだ。
 同じように感じたのは当方一人ではなかったようで、その母子の前で、人の波がさっくりと二つに割れた。
 「うひゃひゃ。モーゼかよ」
 まるで「紅海がぱっくりと二つに割れて道が出来る」ように、人の流れが割れた。その通り過ぎる男女は、皆、その母子のことを振り返って見ていた。
 オヤジの中には、「きれいな女性だなあ」と言葉にしていた人もいた。
 当方は思わず引き返して、後ろから二十㍍ほどついていったが、やはり人の流れがその母子の前でぱっくりと二つに割れていた。

 「あれを見れば、聖母とかキリストがどんな感じだったかが想像出来る。とにかくオーラが凄かったんだよ」 
 師長は「へえ。そりゃ会ってみたいもんですね」と反応した。
 「さしたる理由なく、接触した人が好印象を持つ人のことを『天使がいる』と表現するけれど、あの人のは『大天使』だったね」
 ミカエル級の大物だ。
 赤ちゃんの多くや、大人でも天使を背負っている人がいて、皆が好意的に解釈してくれる。
 「こういうのは持って生まれたものだから、人間は不平等に出来ているもんだ。ま、最初の『きれいな人』の話だって、きれいな人は何をやってもきれいだ。三百円の服を着てもブランド品に見える。ある意味、お得なのだが、周りの人に期待される面も大きいと思う。その思い込みが過ぎると本人の意志に関わりなくトラブルに至る」
 それも、「きれいな人」の話で、オーラのある人は全然違うと思う。後者は、たぶん、周囲が必死になり助けてくれる。

 「その辺、俺の周りは悪霊だらけだから、他人の印象も悪い。だが、俺は人間が嫌いなので、なるべく人が遠ざかってくれる方が助かる」
 悪縁(霊)は「なるべく陰に隠れて、自分の所在や関与を隠そうとする」から、自分の後ろにそれがいると知らぬ人が殆どだ。
 だが、天使でなく「悪魔がいる」方の人種には、腹を括ってどんどん姿を現す。
 おまけに、天使の所在は公園の群衆のように多くの人が感じ取れるが、悪魔の方はそれと分からず、その人自身に対し悪意を持つ。こっちの意味でも人間は不平等に出来ている。

 とりあえず、近々、ホニャララ課(聞こえなかった)のカワイイ看護師さんを見物に行こうと思う。