日刊早坂ノボル新聞

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◎病棟日誌 悲喜交々 9/5 「またもサントワマミー」

病棟日誌 悲喜交々 9/5 「またもサントワマミー」
 この日は眼科の検診から。
 看護師さん(26歳くらい)が、とてつもなくきれいで、肌が真っ白。小顔でで美人ぶりがすぐに知れた。それ以上に、対応が柔らかく、すこぶる優しい。
 先日、師長が言っていたのは、「眼科に今シフトで入っている子がカワイイ」だった模様だ。
 年を取り、もlはや女性を女性として眺める見方よりも、「花を愛でる」ように女性を眺めるようになっている。そういう意味範囲で「萌ええ」っとした。
 きれいな花を見て「きれいだ」と思うのは、当たり前の感情で、それに差別だのなんだのという枠組みを当てはめるのは、曲解が過ぎると思う。とりわけ、オヤジジイは単純にそう思ったから誉めているだけで他意はない。
 毎日、一挙手一投足について「人権」を考えていたら、物事がスムーズに進まない。「女性の権利」を声高に主張する者は、「ハゲ」だの「デブ」だのも同じだと思わぬのか?

 眼科では、ついに医師に手術を勧められた。左目の回復が遅いからだが、当方は病気以外の状況について熟慮する必要があるから、二週間ほど決断を待って貰い、その間に「差し障り」があるかどうかを調べることにした。
 何せ、一昨年の「稲荷事件」の時には、医師看護師が口を揃えて、「心臓の治療を受けろ」と言った。心臓が悪くないのに、見た目の症状だけで言っているから、もちろん、施術は受けない。
 別の理由で具合が悪いのに、カテーテルなんぞを新米医師にやられたら、手術室で死んだと思う。この判断が正しいのは、何も治療しないのに、あの世コントロールだけで、ほれこの通り、「まだ生きている」ことで分かる。
 だが、せっかく美人看護師に会ったのに、浮かれ気分が吹き飛んだ。

 腎臓の病棟に戻ると、当方はやはりこの日の最後の患者になっている。
 看護師が来て、「調子はどうですか?」と訊くので、「心臓と腎臓に持病があるわ、足は腐って来るわ、眼は見えぬわ、コロナの後遺症が抜けねえわ、おまけに腰痛まである」と答えた。
 で、「絶好調だわ。たぶん、今日が俺の人生の最高の日だ」。
 ここまでが、ひと揃いになっている。
 もちろん、「今が人生最高」と言うのは、「今後良くなることはない」という意味だ。下り坂の途上に居るなら、その時その時が最も高い位置にいるということ。

 眼科のある日は朝から夕方まで院内にいる。
 時間を潰すのに苦労するが、今は専ら「ようつべ」だ。
 吉村ひまりちゃんのバイオリンを聴き、モスの演奏を聴く。
 モスはトロンボーンの女子の音としぐさが気に入って、時々聴く。
 眼の麻酔が緩んできた頃には、上田馬之助VSラッシャー木村IWA選手権試合を観た。
 上田さんの「人となり」とか思想を知ると、改めて、気付かされる面が沢山ある。
 木村さんは大きいレスラーではないように見えるが、実際には一般人の中に入るとバカでかい。いつも記すが、高田馬場ですれ違った時には、「木製バットで殴り付けても平気だろう」と思った。あの筋肉の量と来たら。
 だが、上田さんはずっと大きい。190㌢で、レスラーの中に入っても大きい方だ。船木誠勝選手(今も現役)によると、「前田日明選手と背格好が同じくらいだが、上田馬之助さんのほうが大きかった」らしい。骨太でがっしりしていた。
 上田さんの持論は「ヒール(悪役)が戦うのは、相手のレスラーではなく観客」「レスラーのライバルは観客」で、如何に観客を沸かせるかを念頭に置いていた。ヒールだけに勝敗はあまり関係ない。
 この試合は、ラッシャー木村が全盛期に近い頃の試合だと思うが、試合自体は上ださんペースで、実際押していた。
 時折、凶器攻撃を繰り出したりするが、レフェリーには見えぬが、観客にはそれと分かるようにやっていた。
 上田さんは関節技が上手くて、簡単に技を入れるが、「ヒールの目的は勝つことではない」ので、時折、意図的に隙を見せて、木村さんが反撃出来るように計らっていた。
 今、この試合を観て「スゲー」と思ったのは、試合の後半になると、観客がヒートアップして、口々に「木村あ、鉄柱にぶつけろ」と叫んでいたことだ。
 上田馬之助の「観客が手の上で転がされた」瞬間だ。
 日本人には大型レスラーが少ないのだが、米国でトップヒールとして扱われていた時期もある。腕は確か。
 前述の船木誠勝選手によると、前田VS上田戦では「上田さんのほうが押していた」とのこと。また、感動した試合として「UWSと新日の対抗戦の時に、前田選手と両者リングアウトに持ち込んだ試合」を上げていた。
 実際、この試合では、上田さんが負けると、残りの猪木選手一人で敵陣三人と戦う必要があった。ここで負けるとさすがに猪木選手がしんどいので、負ける訳には行かぬが、かといって、目玉商品の前だ選手に勝って、その商品価値を下げるわけにも行かない。そこでの選択が「両リン」だった。
 ものすごく頭が切れるし、自分の置かれた立場を分かっていた。
 今では、上田馬之助さんは再評価されるようになっているが、改めて試合を観ると、従前とは見え方がまるで変わっている。

 さすがにベッドにいる時間が長く、病院を出る時には麻酔が切れていた。麻酔が切れると逆に血だまりが大きく見えるから、例によってサントワマミーを口ずさみながら帰った。
 「目の前が真っ暗」な気分だが、上田さんが事故で首から下が動かなくなった後も十数年も生きて、慈善活動を行っていたことを想うと、めでてはいられぬと思う。
 上田馬之助は、もはや当方の師匠だ。
 目の前に自分の死期が見えると、捨て鉢な気持ちになる。当方もそんな時には、かなり気持ちが荒れ、誰彼なく悪態を吐きたくなる。だが、そこでひとつ軌道を戻せるかどうかが、自分を生かすことに繋がると思う。
 これからも苦難は続く。だが、今この時が人生最良の時だと思い、味わって生きるべきだ。

 画像はこの日の昼食。
 三時を回ってから、独り食堂で食べた。
 除水の後でチキンカツは重く、酷い胸焼けがした。
 胸焼けは胃腸の具合ではなく、循環器の病気に由来することがあるから要注意だ。

 

注記)眼疾により、今は完全ブラインドタッチで、推敲も校正もしません(できない)。誤変換など不首尾が多々あると思います。