日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎扉を叩く音(続)

◎扉を叩く音(続)

 「深夜、玄関の扉を叩く者がいる」話の続きになる。

 

 九月五日の午前二時四十分頃(つい先頃)には、居間で横になっていた。テレビの前に竹茣蓙が敷いてあり、これが涼しいので、夏場はここでごろ寝する。
 少しうつらうつらしていたが、階段下の廊下で「みり」という足音がした。
 居間の隣室は息子の部屋になっているが、息子はそこにいる(起きている)。他の家族は朝が早く睡眠中だ。

 その足音は四十キロくらいで、ちょうど母くらいの体重だ。
 入り口の扉に眼を向けると、摺りガラス越しに影が映っていた。やはりそこに女性が立っている。
 つい数秒前には、「母かも」と思ったわけだが、シルエットを見る限り母ではないようだ。
 ああよかった。母なら紛れもなく「お迎え」だ。別の者なら、ただ寄り憑いているだけ。

 

 やはり、その場に立つと、緊張で全身が硬くなるのだが、トイレに行きたかったので、扉を開けて廊下に出た。

 ちらと「まともに対面したらどうすっかな」と考えたが、実際に開けてみると、やはりそこには誰もいなかった。

 もしそこに女が立っていたら、「あんたは誰で、何故そこにいるのか」と訊いてみただろうと思う。

 

 幽霊は「川を渡らずに、峠道(死出の山路)の方に進んだ死者」だと思うが、峠を越えるとやはりもはや戻っては来られぬので、その先のことを当方は知らない。なお、中腹までは幾度か行ったことがある。

 実際に峠を越えた者は、この世とあの世(この場合は霊界)の中間世界である幽界の実情を知っているから、それを聞くことが出来たかもしれん。

 この謎が解けると、「よりよい死に方」を導くことが出来る。

 ある意味では惜しい機会だった。

 

 あちらの者にきちんと話を聞く手立てはないものだろうか。

 ちなみに、やはりこういう時の「気配」は確実だ。あの世の夏休みは二か月くらいで、今後は従前の状態に戻る。

 十月以降はさぞ煩いだろうと思う。

 

追記1)いつも「(幽霊は)怖ろしいものではない」と記すが、居ない筈のところで、音がして気配を感じると、その途端に全身が硬直する。数十秒で解けたが、これは本能のようなものかもしれん。

 

追記2)ここからは想像と推測だ。

 峠の中腹では、周囲が漆黒の闇。だが、周囲は木々が生えているようなきがするし、遠くで鳥や獣が泣く。あるいは、ひとのぼそぼそと話す声が聞こえたりする。

 頂上に行くと、向こう側が幾らか明るくなっているのが分かる。

 道があり、コンビニや人家が見えるが、いずれも廃屋で人の気配はない。

 コンビニや家の各所に記憶があり、たぶん、これらは私自身から取り出した断片的な記憶で出来ている。

 

 この世とあの世とで決定的に違うのは、あちら側が主観的に構成される世界だということだ。五感を既に失っているから、客観的に外界を眺めることが出来ない。総てのかたち(形象)は、自分が思い描いたもので、要は主観的に構成されているとということだ。

 よって、主体が違えば、見える世界も違う。

 多くの人が死んだ後、川を見るが、ひとによっては川に見えぬ者もいる。かたちは絶対ではなく、あくまで「のようなもの」だ。川は「隔てるこの」の象徴で、これを渓谷なりビルの谷間として思い描く者もいるだろう。

 いずれの場合でも、渡ろうと思えば歩いて渡れる。

 

 その川を渡らずに、反対側の道を行くと、「死出の山路」「峠」がある。この先の世界は、この世と繋がっているが、これは「同居する」と受け止めてもよい。

 ただし、死者は「見るからが思い描いた世界の中で暮らしている」ので、他者を意識することは稀だ。己と似たような感情を持つ者だけを、こころの共鳴によって感じ取ることが出来るのだが、それと知ると大急ぎで走り寄って来る。幽界の総てが主観的表象で出来ているなら、その当事者は、たぶん、孤立しており、孤独を抱えて暮らしている。

 幽界にいたる道筋には、まだ謎のところが多い。

 

 心停止を経験して、生き返った者は、多く川の手前で引き返している。

 いざ渡れば、二度と戻って来ることはない。

 「死出の山路」を越え、幽界に入った者も、もはや生き返ることが無いので、これを知るには、今その世界にいる住人(幽霊)に確かめるしか方法がない。