日刊早坂ノボル新聞

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◎ご供養の道を探る

ご供養の道を探る

 この日は通院の帰りに、「膝丈スカートの女」と「制服の女」に対する救済方法を探るべく、近くの「穴」の前まで行った。

 ここには、従前は公共の集会施設があり、子どもたちの行事を様々行った。その時から異変が起きていたが、それが「穴」(=交流しやすい場所)の影響だとは思わなかった。

 二人の女性はいずれも普通の人で、ごく普通の人生を送った人だ。感情は波のようなもので、もし心に何かを抱えていれば、それが周囲にも伝わる。この二人からは特に負の感情(恨み辛み)が流れて来ないから、ごく普通に病死したのだろうと思う。

 死ぬにはまだ若かったが、二十台三十台で亡くなる人もいる。

 

 急逝したのか、心の準備が出来ておらず、死んでから「死出の山路」に踏み込んでしまった。「死出の山路」は「三途の川」とは逆方向にあり、この世とあの世の中間にある世界だ。

 生前と全く同じ世界が広がっているが、常に薄暗く、人影もない。だが、何かの気配はそこいら中に満ちている。

 もはや頭は働かぬので、合理的にはものを考えられぬ状態だから、その世界でただぼおっとして過ごす。

 たまに、人の気配がすると、助けてくれるのではないかとそれに飛びつく。

 

 当方の陰に立ったのは、そういう事情だった。

 当方はあの世(幽界)の者からも見えやすい・見られやすい状態にあるようで、頻繁に幽霊が寄り憑く。

 その殆どは「助けてほしい」と叫ぶ。

 

 まずは「膝丈スカートの女」からで、これは金融機関の制服だと思う。穴の傍には信用金庫があるが、ここで働いていたわけではなく、この北東にある駅前オフィス街までの範囲で、金融機関に務めていた女性だと思う。

 死後、何がしかの時間が経過した後に目覚めたが、仕事をする意識が強かったので、いつも着ていた制服を今も身に着けている。

 金融機関に制服があったのは、もはや十年以上前のことだから、平成の半ばくらいには亡くなっている。

 

 「穴」にいきなり近づくと、周囲の幽霊がわあっと寄って来る場合があるので、車を道の反対側に停め、そこからそこら一帯を眺めた。

 ビルとその隣の茶室の庭くらいの位置に「穴」があったようで、うっすらと煙が立っている。だが、従前よりはかなり薄くなったと思う。

 ま、このビルの上の方では、深夜に「ゴトゴト」が起きていると思う。茶室にはあまり近づきたくないが、これはたぶん私だけで、他の人にはほとんど影響がないと思う。

 N湖にあった穴と比べると、小さくて力も弱い。

 

 それから神社に行き、いつも通りにガラスの前でセルフチェックをした。

 特に問題はない。一時の「黒い腕が胸を鷲掴みにする」状態と比較すれば一目瞭然だ。

 だが、ものの数分で寄り付く者がいて、すぐに影が出た。

 珍しく男だ。右脇に手を添えられたので、その手の感触で分かる。

 

 夕方になり、娘を迎えに駅まで運転したが、途中から座席に取りつけてある鈴がまったく音を立てなくなった。

 「ついて来ていたか」

 後ろの気配を確かめると、後部座席に人の気配がある。

 げんなり。

 そこで、きちんと警告することにした。

 「傍にいても良いが、人の体に勝手に触れるな。ご供養はしてやるから、大人しくしろよな」

 もう一度後ろの気配を確かめると、一人ではなく三人だった。

 後部座席にきっちりと幽霊が三人座っているとなると、何だか滑稽な姿だ。

 苦笑いを零しつつ、「きちんと間を詰めて座るんだぞ」。

 最初に座られた時は高速道路の中だったから、ハンドルを切りそこないそうになるほど気が動転した。

 そのため、車の中にも鈴を備え付けて、いざ出た時にはそれを強く鳴らして、向こう側に追いやるようになった。

 「いいか。俺の娘を驚かしたりするなよ。もう消えろ。後できちんとご供養してやるから」

 鈴に手を掛けて、チリンチリンと鳴らした。

 幽霊が嫌うもののひとつがこういう金属音だ。

 これは、幽霊の本質が「波」のような存在だから、という意味で、合理的な説明がつく。

 

 膝丈スカートの女については、心を解きほぐすルートを探り、ご供養に役立てる。

 作業着の女性の方は、公共施設で働いていた女性だと思う。

 それも割合近くで、ここの市民会館に出入りしていた記憶が薄らぼんやりとする。