日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎一年経っても障りは無くならず

障りの始まりの時期

一年経っても障りは無くならず

 ある程度時間が経過すると、過去の出来事を客観的に振り返ることが出来る。

 この一年はかなり苦しめられたが、これまでの状況が糸を紡ぐように分かって来た。

 大きな要因はやはり「障りを被っていた」ということだった。

 

1)稲荷の領域に立ち入る(令和三年十月二十四日) 

 私は何かしらの宿縁があるようで、稲荷が苦手だ。鳥居を潜ると、たちまち具合が悪くなり、立っていられなくなる。長い間、その理由が分からなかったが、いつもそれが稲荷神社や村社の近くで起きるので、やはり稲荷と相性が悪いということだ。生まれる前に生じた関係性であれば、原因を推しはかりようがない。

 ともあれ、常に気を付け、稲荷には立ち入らぬようにしているのだが、昨年、あるお寺を訪れた際に、境内の一角に稲荷村社があるのに気付かず、神域に立ち入ってしまった。

 その時の感触は今も鮮明に覚えている。

 「頭に蜘蛛の巣がかかったような感触」を覚えたのだ。

 この時は、それが「幽霊が取り憑いた時」の体感だとは思わなかったが、程なく具体的な異変が続いたので、それと分かった。

 すぐに体調が悪化して、足が重くなった。

 

2)幽霊が顔を出し始める(令和三年十月二十五日)

 翌日、家人と一緒に秩父まで紅葉見物に行った。まだ紅葉には早かったので、蕎麦店に寄り、新蕎麦を食べて帰ることにした。

 店の中で記念撮影をしたのだが、アクリル板の上に良からぬ影が映っていた。

 これはこの画像だけ見たのでは、まったく分からぬと思う。

 私はN湖で幽霊の声を聴き、姿を見たので、繰り返し供養に行ったのだが、その時に「穴(あの世との結節点)」の標識を見て、さらに物音を聴いている。その時の感覚と全く同じだった。

 (「穴」と気配の説明は長くなるので省略。)

 この後は、常に背後に誰かがいるような気配があるし、時々、車の後部座席にも乗り込んで来るようになった。これは過去記事に記した通りだ。

 

3)腹を刺される(令和三年十一月七日)

 ほぼ二週後に改めて紅葉見物に出かけたのだが、たまたま家人が私のことを撮影した。

 ちなみに、被写体になると、時々、周囲に煙玉が飛び交うので、なるべく写真には入らぬようにしている。家人はそのことを知っているのに、何を思ったか、この時は私を撮影した。

 これで「障り」を受けているのに気が付いたが、今生きていられるのも家人のおかげかもしれぬ。何も知らなかったら、どういう対処をしてよいのか見当がつかないからだ。ただ単に「多臓器不全症が進行した」と思ったことだろう。

 最初、画像の中の私に煙玉が出ていることに気付いたわけだが、体の上に出ているから、私の場合は病気の前触れを予告するものだ。これまで幾度も同じことが起き、その都度入院する事態になった。

 私の場合、「体の周りに煙玉が浮かんでいる」ケースとは、まったく違う意味になるので、それ以後はいつも以上に警戒するようになった。

 後で分かったことだが、同時に私の左腹に「切れ目」が入っていた。まるで画像のその部分をかき取ったように、向こう側の景色が見えている。画像処理でも簡単に作れそうだが、私の場合、そういう捏造は何の意味も持たない。ネットで「受ける」必要も無ければ、仲間も友だちも不要だ。もはや半ばは棺桶に入った状態なのだから、人事で必要なものはない。

 後で分かったのは、この時は右側の「男にひと突き刺されていた」ということだ。

 時々、ちょうどこの位置が酷く痛むのだが、原因がよく分からない。心臓に持病があるので、おそらく血流(動脈)に関係しているとは体感的に思う。

 

 ここからが苦闘の始まりで、一月からはアレルギーが気管支喘息に進み、それが肺の症状に発展した。息が出来なくなり、酸素を吸入して急場をしのいだ。

 この半年間は、まだ記憶に新しいので、起きた出来事を文字に落としたくない。

 その間、あの世的な異変も数多く起きたのは、逐一、ブログに記した通りだ。

 「回線の繋がっていない電話のベルが鳴る」

 「スマホ音声認識が勝手に入り、しわがれた男の声で『憑いた』『憑いた』と叫ぶ」

 「写真を撮ると、自分を捕まえようとする手などが写る」

 とりあえずは、死なずに生き残ったから、出来事の細かい内容はどうでもよい。

 「時々、幽霊が写る」「見る」こと以外の不審事は殆ど気にならなくなった。

 

 半年前の状態を考えると「今までよく生き残れた」と思うが、同時に「まだ終わったわけではない」とも思う。一度、魂に取り込んでしまえば、もはや完全に分離することは不可能だ。

 今後も「悪影響を極力抑え、障りを押し留める」くらいのことしか出来ないのだ。

 いずれ「腹にひと突き」されたことが影響し、今生が終焉を迎えると思う。

 

 ま、それはそれで構わない。私に障りを与えた者には、いずれ私が貰った障りよりもはるかに強い悪意を返そうと思う。やられたらやり返す。

 その意味では、死ねば今よりはるかに自由になれる。

 

 一方で、人間のこころはプラスマイナスの両面を持っているから、生きている内に幾人かを危機から救おうとも思う。
 障りに関わることであれば、幾らか対処は出来る。もちろん、「自力更生」が基本だから、その流れの中でということだ。

 

 ちなみに、苦戦続きだったので、一年間で十二キロ痩せた。今は少し戻すべく、心掛けて食べている。

 

注記)「穴」の周辺

 三枚目のN湖の画像は、ここにまだ「穴」があった頃のものだ。

この場所に立つと、下の方から「ああだよ」「こうだよ」と声を掛けられた。声のした方を覗き込むと、女の影が立っていた。俯いたままブツブツと何かを口走っている。

 長らくその理由が分からなかったが、ある時、警察の舟艇が三隻出て、何かを運んでいるのを見て気が付いた。ボートをつけられるのは、右手の奥しかなく、水死した仏を岸につけるのは、ここしかなかった。時々その手の処理を同じ場所でしていたから、それがきっかけで「穴」を呼び込んだのだと思う。

 最初はただ「ここは嫌な場所だ」と思うだけだったが、家人を連れて来てみると、家人にも同じように声が聞こえた。そうなると、単なる私の妄想ではなく、人に影響を与えかねぬ力を持っている。そこで、供養を施すことにして、何十回かこの地を訪れ、お焼香をした。

 その後で、帰路にお寺や神社に立ち寄り、連れて来た者を下ろすようにしていたが、その数の多いこと多いこと。

 異変が起きなくなるまで一年以上はかかったのではないかと思う。
 なお今はもう「穴」は場所を移した。

 「穴」の近くには、どういうわけか「人面っぽいかたち」が現れる。顔のようだがただの標識で幽霊そのものではない。「顔に見える」と言うだけだが、何となく薄気味悪い。

 そしてその近くには、必ず人影がいるし、声も聞こえる。

 画像ではこれがまったく伝わらないから、画像を見てものを言っても仕方がない。

 これが分かっているので、これまで「穴」には言及して来なかった。

 

 下を覗き込んだ時に、「あそこに女が立っている」という確信がある。撮影しても、画像にはほとんど写らぬが、じわじわと圧力を感じる。女は何事かを呟いているのだが、主に自分のことのよう。これは実際に耳で聞こえる。このケースは多く自死した者だと思う。

 暫くはただ見ているだけだったが、ある時、ついに女が私に気付き上を見上げたので、これがご供養を始める直接のきっかけになった。

 

 この「人面っぽいかたち」が蕎麦屋のアクリル板に見えたので、「自分がごく近くに寄り憑かれている」ことを悟った。透明なアクリル板はガラス板と同じで、透過する光と反射する光を分けるのだが、反射する光の側に「あの世の者を可視化する波長」が含まれる。

 幽霊が見えるかどうかは、見る側の能力の違いではなく、単純に「可視波長域には個人差がある」ことによる。人によって、近視や遠視、老眼の者がいるのと同じで、見やすい見え難いの個人差があるわけだ。

 私は視聴覚とも、幾らか波長域が広くなっているようだ。

 最もよく見る「この世ならぬ者」の姿はこれまで「黒いひと」と称して来た影だけの存在だ。

 「黒い影」がただ立っているのだが、ガス状とはいえ物理的存在なので、ガラス窓の継ぎ目では二重に映るし、日光の下では影も出来る。映画のプレデターのように、景色に紛れて姿が消えてしまうだけの違いだ。

 物理的な存在なのであれば、いずれ科学技術で解明できると思う。

 幽霊は「自我」の一形態に過ぎない。

 この解明のためには、恐怖や信仰を、極力、持ち込まぬようにする必要がある。

 説明を試みる前に事実を積み重ねることだ。