日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎「黒いひと」対策

◎「黒いひと」対策

 腎臓医が「すぐに大腿のカテーテル治療を」と言うので、「循環器の主治医とよく相談してから」と答えた。再検査をひと月後にして貰ったが、理由を伝えるのに、仕方なく「私の脚には、今、幽霊が取り憑いているので、それを落としてからにしたいのです」と答えた。

 医師とこの日の担当看護師が「え」と私を見る。

 「普通の人が言ったなら、まるで気の触れた者の話ですが、証拠があります。見せますか?」

 すると、たまたま師長が傍にいて、これを聞き、「あ、いいです。いいです。その予定で結構です」と口を入れてくれた。

 師長には前に幽霊の出た画像を見せたことがあるので、師長は私が「はっきりした根拠を持って言っている」のを承知していた。ま、ネットに出せぬレベルの画像を見ているから、事実で、かつトラウマになるくらいのヤツだと分かっている。

 

 とりあえず、すぐに再検査を受ければ、間違いなく大腿のカテーテル施術だろうから、次の検査までに下半身に取り憑いた幽霊をきれいに落とす必要がある。その後でも状況が変わらなければ、ま、施術も仕方ない。

 だが、昨年同様に悪縁(霊)たちは、私が手術室に入るのを待っているような気がする。

 一昨年の秋に、私にとっては不可触領域の稲荷境内にうっかり立ち入ってしまったのだが、それ以後、ほぼ一年近くの間、障りに苦しんだ。どうやら稲荷の眷属に僧侶の幽霊がいて、修験者の要素を多く持つ私のことが気に障ったらしい。一度だけだが、赤黒い顔をした僧侶の幽霊が現れたことがある。

 その後の苦闘についてはブログやSNSに記したが、酸素を吸引しなくては息が出来ないわ、体重が激減して十四キロも落ちるわと散々だった。

 毎年のように「今回はヤバいかも」と思う時が来るのだが、昨年同様、今年も同じことが起きるらしい。

 その都度、家族にも迷惑をかけるから、申し訳なく思うところもある。

 数日前に買い物に家人と外出した折、家人に唐突に「私と結婚して良かったのか」と訊かれた。

 それには間髪入れず、「もちろんだ。どうも有難うな」と答えていた。

 心中で「飲む・打つ・買うの、こんな男に耐えられる女はコイツしかいないだろうな」と思った。理性のあるまともな女性なら、とっくの昔に離婚している。よくぞ我慢して来たものだ。

 

 だが、こんな風に「人が変わったように、周囲に感謝し始める」のも、「程なく死ぬ人」の兆候と言われる。いつも思うが、「死ぬ人の兆し」が私には総て当て嵌まる。

 昨年と少し違うのは、「常時、背後に四五人が立っている」感じがあることだ。台所では、従前はカウンターの陰にひっそりと立たれたのだが、今は私のすぐ隣で身じろぎをする気配がする。

 そういうのにも慣れて来たが、かなり不快だ。

 (この何とも言えぬ不快感は、二の腕や背中を冷たい手で触られることがあるからのようだ。)

 

 果たしてこんな事態を乗り切れるものなのだろうか。

 ま、当事者以外に誰一人理解共感できないだろうし、今さら現状に文句を言っても始まらない。

 ここでもう一度、周囲の環境から見直すことにした。

この神社一帯が古戦場で、二百㍍東に小学校があるが、そこの校庭に慰霊碑が建っている。

 確か勝った方が敗けた側の侍の首を多数落とした地ではなかったか(忘れた)。 

 以前はこの神社のすぐ傍に集会場があり、そこで児童の行事を行ったものだ。私は子供会の役員をやっていたから、ここにも度々来た。

 施設の中では煙玉や人影が出まくりで、このスレッドに記した初期の画像はこの近辺でのものだ。

 ま、いわく自体はどこにでもあり、それが直接、関わることはない。異変が起きやすいのは、結節点(穴)が出来やすい環境と状況だからだと思う。

 この神社から四十㍍東に集会所があった時の画像が冒頭の掲示画像だ。

 判別しやすいのは煙玉だが、人々の間に、ひとの姿をした何かが写り込んでいる。

 世間一般的な言い方では、この辺一帯はいわゆる霊場になる。

 

 昨日の最後の画像では、私には自分の背後に子どもが立っているように見える。

 集会場での経験がこの子どもの出現と結びつくのだが、そうなると私自身が子どもの現れる誘因のひとつになっているのかもしれぬ。

 子どもは「自分を見て欲しい」から近づいたのだろうし、「たぶん、発見して貰える」と分かってもいると思う。実際、私はすぐに発見した。

 だが、私は宗教家でも博愛主義者でもないので、次々寄り憑かれると、負担だけが増える。衆生救済は私の責ではない。

 とりわけ、今は「黒いひと」対策で忙しい。

 

 しかし、解法の糸口はこの地の地縁にあるのかもしれん。

 何せ命が懸かっているだけに、今はあらゆる可能性を視野に入れ、必死で対策を考えている。