日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎触手のような腕(623)

f:id:seiichiconan:20211205093716j:plain
f:id:seiichiconan:20211205093706j:plain
f:id:seiichiconan:20211205093655j:plain
f:id:seiichiconan:20211205093643j:plain
f:id:seiichiconan:20211205093633j:plain
f:id:seiichiconan:20211205093622j:plain
f:id:seiichiconan:20211205093611j:plain
f:id:seiichiconan:20211205093601j:plain
f:id:seiichiconan:20211205093552j:plain
f:id:seiichiconan:20211205094653j:plain
令和三年十二月四日撮影

◎触手のような腕(623

 このところ体調が悪い。ここは「イマイチ」どころではなく、正直、「悪い」だ。

 このため、臥せっている時間が長くなる。

 病気の苦痛には慣れたが、何も出来ぬ日々は、心を腐らせる。

 もちろん、こういうのは昨日今日始まった話ではないので、自分なりにあしらう術を知っているつもり。

 

 この日は検査が入り、院内滞在時間が長くなった。

周囲の患者が帰った後にベッドの整理をしていると、看護師のケイコちゃんに声を掛けられた。

 ケイコちゃんは娘たちと同じくらいの年齢で、母と同名だから、家族の一員のような感覚になっている。

 「最近、左肩が重いんですよ。幽霊でも来たのかな」

 わざわざそんなことをベッドまで言いに来るとは、師長かN湖畔在住の看護師が私の噂話をしたか。

 「他言するな」と言ってあったのに。

 「そんなのはただの話だ。スピリチュアルどうたらの話など聞いたらダメだ。幽霊が原因で何か起きることなどほとんど無いんだよ」

 ま、ケイコちゃんは親元を離れて独り暮らしをしているし(彼氏無し)、今はコロナで外出も殆どしない。仕事の疲れを余分に感じる体勢が整っている。

 だが、「幽霊のせいで何かが起きる」ことは少ないが、幽霊自体は「誰の後ろにもいる」。

 その時の心境次第で、似た心情を持つ者が近くに寄って来るからだ。

 

 車に乗ると、不意に神社に行く気になった。

 「そのついでにケイコちゃんにお守りでも買ってやろう」

 もはや「娘」と同じ扱いだ。

 信じぬ者にとって、「お守り」はただの「紙と木」だ。気休めにもならない。だが、信じて心を強くすれば、意思と念の力が生じる。最初のきっかけくらいになるかもしれん。

 

 神社に着くと、既に四時を回っていた。もはや暗くなりつつある。

 この時間帯では、土曜とはいえ、参拝客もチラホラ程度。

 いつも通り神殿の前で幾枚か撮影したが、自分の状態を確かめるのはTPO的に無理だろう。

 でもま、同じ位置で七八千枚は撮影しているから、環境が万全でなくとも何かしら推測することは出来る。

 

 車に帰り、すぐに開いてみたが、中に「自分そっくりな人影」が出ているものがあった。

 朧気でほとんど見えぬが、これはいつものこと。「そっくりなヤツ」は、いつも相手(私)に悟られぬように気配を殺して近づく。

 「オメー。俺を舐めとんのか。こっちはベテランなんだよ。幾ら隠れたって分かる」

 私が「サングラスをしてカメラを持つ」姿を忠実に真似しているのだが、逆にそれだから浮き上がって見えてしまう。(ウェブ画像では見えぬし、そもそも他の者には関りが無い存在だ。)

 こういうのは、私が死ぬのを見に来ており、死ぬと同時に同化しようとする意図を持っているから、事実上、「死神」と同じだ。

 生命力が落ちると、すぐにこういうのが近づく。

 だが、同時に「そっくりな人影」の後ろに「女」がいるのが見て取れた。

 この視線は、紛れもなく「御堂さま」だ。

 

 「もういなくなっているのかと思っていたが、まだ近くにいたわけだ」

 「死神」を押さえつけて、傍に来ないようにしてくれているのだった。

 御堂観音で、はっきりとした「しるし」「姿」を現してから、陰日向なく支えて貰っているのだが、それも私が存在に気付き、「生まれ故郷に送り届けた」からだろう。

 そこで縁が生まれたのだ。

 「ではいずれ矢巾のあの墓地に行かねば」

 御堂観音での出来事の後、国道四号線を北上中に、御堂さまのことを思い浮かべていたのだが、矢巾付近でカーナビが突然、道を逸れるように指示し、着いた場所が墓地だった。

 何となく、「ここが御堂さまの帰るべき場所だったか」と納得した。

 御堂さまは、いつも白い着物を着ている。顔立ちは「美人」と言えるほどだが、幽霊だけに、かなり怖い。

 本来の名前が分かればもっと付き合いやすいのだが。

 

 せっかく気が楽になったのに、次の画像で少し驚いた。

 画像の中に「触手」が見えたのだ。

 幽界には、妖怪やら魑魅魍魎やらの姿をしたバケモノがいるのだが、実際、こういうのが姿を現わす。

 幽霊は、いわば「心(感情)だけの存在」で、心の状態がそのまま外見となって現れるから、かたちがどんどん変わって行く。

 「同化と合体」を繰り返した挙句、バケモノの姿に変わってしまう者もいる。

 

 私のすぐ近くに、例によって「触手のような腕」が出ていたのだが、よく見ると、取りついているのは私ではなく、神殿の中にいる参拝客の男性だった。

 七五三のお参りに家族連れで来ていた父親だ。子は男児のようだから五歳ということで、この父親はアラ四十歳くらいなのだろう。

 「触手のような腕」と書いたが、実はこれが脚で、脚が男性の身体に絡みついている。

 ちょっとエッチな構図なのだが、実際、これはバケモノ幽霊ではなく、生きている人の念だと思う。

 ま、簡単に言えば、この男性が浮気をしており、その相手の女性の念が男性に絡みついている。

 脚の感じから見ると、相手の女性は三十台のバツイチだ。

ここはもちろん、経験と想像と妄想による。人間の行動にはある程度共通のパターンがあるから、占い師や自称霊能者の生業が成り立つわけだ。

 

 ちなみに、あの世には肉体が無いから、浮気や不倫に関する見解や態度が無い。生きている者にとっては、ルールを外れた行為でも、死後には視野から外れる。

 とはいえ、嘘や欺瞞があったり、執着心に囚われたりすると、あの世的な応報が待っている。

 これが女性の執着心から生じたものなら、この男性はいずれ「ツケを払う」ことになる。

 危機はもう間近だ。