日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎視線の正体

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◎視線の正体

 しばし逡巡したが、起きていることをそのまま記すことの方が重要なので、やはり書くことにした。判断は目を通す人に任せればよし。

 ただし、幾つか留意点がある。時々、「あの世」の話を書くが、それを「そんなのは全然信じられない。妄想だ」と思う人は、どれを見て、どのように判断しても良い。

 「あの世など存在しない」と信じられるなら、それが最も影響を受けにくい状態だから、そのままでいた方が良い。

 しかし、これまで私が指摘して来たものが「何となく見えるような気がする」、「見るとざわざわする」と感じたことのある人は、画像をあまり見詰めない方がよろしい。

 (ま、何か影響があれば、改善のための協力はする。)

 

 最初の画像で、木々の合間に「女性の左眼」だけが見えているのだが、典型的な幽霊の視線だ。「こころ」が存在せず、何かに囚われた者だけが持つ視線になっている。

 幽霊の表情が「常に薄気味悪い」のは、暖かい感情を塵ほども持たないからだ。

 もし愛情やや親しみなどの勘定があるのなら、それを手掛かりに執着心を解くことが出来る。出来ないから、そのまま留まっているわけだ。

 二枚目は、この画像ではほとんど見えぬが、私の前に眼(視線)があると思う。

 三白眼でかなり薄気味悪いが、煙が変じたものなので、幸いなことにはっきりしない。

 

 問題は、これらの眼(視線)を、私が「前にも見たことがある」という点だ。

 割と最近では、五年前の宿谷の滝での画像だ。

 これらは総て同じ者ではないかと思う。

 髪が肩までで、着物を着ている。と、これも同じだ。

 (ここは画像に直接写っているわけではないものもあるが、「そんな風に見える」のだ。)

 

 ここで気付くのは、私が「御堂さま」と仮称している女の幽霊に、極めてよく似ているということだ。こちらは割と頻繁に画像の中に現れる。

 どういうわけか、この女の幽霊はずっと私の傍にいて、じっと見ている。

 何も起きないので、悪意はないのだろうが、やはり薄気味悪いところがあるのは否めない。

 

 見た者の心を不安にさせるのは、すなわち、若干、「影響が生じる場合がある」ということだ。ひとによっては、気付いてみたら傍に立たれていた、みたいなことが起きるかもしれん。

 ただ、怖れる必要は無い。何をするわけでもなく、心の中を覗き込んでいるだけだ。