日刊早坂ノボル新聞

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◎夢の話 第1K30夜 女が見ている

◎夢の話 第1K30夜 女が見ている

 十四日の午前二時に観た夢だ。前日は体調が悪く、ほぼ一日中、横になっていた。

 途中で買い物に出てみたが、あまりよく歩けなかったのですぐに帰宅し、夕食の支度をした後、居間で眠った。夢も観ずに眠っていたが、最後の眠りから浮かび上がって来たところで短い夢を観た。

 

 ぼんやりと意識が戻る。部屋の中は真っ暗だ。

 「また息子が灯りを消してくれたのだな」

 息子はいつも父親が寝袋で眠っているのを見て、「せめて短時間でも熟睡できるように」と灯りを消してくれる。

 だが、暗闇の中なら、俺はむしろ周囲の状況がよく分かってしまう。

 今は生命力が落ちているから、あの世の者が間近ににじり寄って来る。

 暗闇の場合は、それを眼で確かめられる場合があるのだ。

 瞼は開けられるが、しかし、まだ全身に力が入らない。

 出来るのは視線を周囲に向けることだけだ。

 

 俺の真向かいに長椅子がある。

 当初から気付いていたが、その長椅子の陰から「女」が顔を出していた。

 この時はまだ夢うつつだから、俺は「自分が夢を観ている」ことを疑った。

 俺は時々、夢の中で「自分が夢の世界にいる」ことを自覚することがあるからだ。

 「女」は無表情に俺を見ている。暗がりだから、ほとんどがシルエットだ。

 これくらいなら別に日中でもよく起きる。

 だが、十秒も経たぬうちに、「女」の顔に色が着いた。

 灰色だった顔が天然色に変わる。

 ここで俺は気付いた。

 「夢には実は色が無い。グレーかセピア色までだ。夢の中に色があるように感じるのは、専ら記憶によるものだ。だが、コイツには鮮明な色がある」

 となると、これは夢ではなく、俺は実際にこの女のことを見ているのだ。

 「女」は眼を大きく見開いて俺のことを凝視しているが、その視線には感情が無い。

 正確には、人間の感じる喜怒哀楽とは別の次元の心を持っている。

 「コイツは夢ではなく本物だな」

 俺の死ぬところを見に来たわけだ。

 

 「不味い。俺が死線を踏んでいることをコイツは知っている」

 手の先に感覚が戻ったので、体の周りを探る。まだ胴体を動かすことは出来ぬが、なにかを投げつけるくらいなら出来るのかもしれん。

 だが、俺の手が右脇にあった何かに触った。

 「あ。これはご神刀だ」

 とりあえず何がしかの助けにはなる。

 俺はそのご神刀を引き抜くと、「女」に向かって威嚇した。

 「おい。それ以上、俺の傍に近づくなよ」

 近づけばこうだぞ。エイっと刀を突き出す。

 四メートル離れた「女」には届かぬわけだが、それでも意思を示すことにはなる。

 俺は繰り返し、刀を突き出した。

 この動作を実際にやっていいたため、次第に血流が体に周り、ゆっくりと覚醒。

 

 完全に眼が覚めると、やはり部屋は真っ暗だ。

 すぐに立ち上がって部屋の灯りを点ける。

 先ほど長尺の刀を握っていたわけだが、実際にそこにあったのは工作用の作業刀だった。

 俺の意識の中では、ご神刀は長尺だったが、夢とあの世のかたちは主観的に構成されるから、こういうのは「別にフツー」の域だ。

 文字通り、「あの世に近くなっている」訳だから、ご神刀のことを思い出せたのは良かった。

 つい眠ってしまいそうな場所には、必ずこれを置いておこう。

 

 それと、コンパクト型の鏡も三つ四つ必要だ。

 あの世の住人は鏡が嫌いで、それを置くことで幾らか抑止力にはなる。

 ちなみに、鏡はよくホラー映画の素材に使われるが、鏡の中から幽霊が出て来ることはない。

 人が鏡に「何となく嫌な感じ」のイメージを持つ部分があるのは、あの世の者が「(人間に)出されたくない」アイテムだから、マイナスイメージを持つように仕向けられているということだ。

 実際には、良く理由は分からぬが、幽霊は鏡を忌避する。

 ネット動画では、鏡の中の人物の動きが実際の人間のそれより遅れたりする映像がよくあるが、ほぼ作り物だ。鏡には枠があるから、切り取って嵌めるのは学生でも出来る。テレビ画面やガラスに幽霊の姿は映るが、鏡にはほとんど映らない。基本的に嫌いで、その傍に行かぬためだ。

 

 ホラー映画の悪霊は、怨念に満ちた表情をしているわけだが、喜怒哀楽の感情はすこぶる人間的なもので、幽霊の持つ感情とはまるで違う。幽霊のそれは人の目で見ると無表情に見える。そして、その眼の奥には、死後の暗闇が広がっている。

 死が近くなると、幽霊がその匂いを感じ間近ににじり寄って来るわけだが、その状況で幽霊に手を掛けられるようになると、死期がどんどん早まる。こういう性質の者は事実上、「お迎え」と同じ意味を持つので、極力、近付けぬようにすることで、「早死に」を幾らか避けられる。

 気配を早く知り、遠ざける工夫が重要だ。 

 ちなみに昨日は「今は自分の傍に来ているので、必ず画像に残る」と見て、神社に行こうとしたが、あまり歩けぬ状況なので見合わせた。この時の感じなら、たぶん、幽霊を「出して見せられた」と思う。

 だが、もちろん、嬉しいわけではない。事実上、「死線の上にいる」という意味になるから当たり前だ。

 ま、今度も生き延びるつもりではいる。

 

追記)眼覚める時には、久々に九字を切り、般若心経を唱えていた。いずれも気休めに過ぎぬのだが、あの女の表情を見れば、それがただの夢ではないことが分かるから、藁にも縋りたくなる。