





◎夢の話 第990夜 巫女 または「扉を叩く音」(続)
二十二日の午前三時に観た夢とその後の経過です。
まずは日中の出来事の続き。
階段の灯りが、ちょうど踊り場のところで消えてしまうので、「こういうのはやめてくれ」と頼んだら、普通に点くようになった。
足元が見えずに、階段を転げ落ちる心配が消えるから、かなり助かる。
今は心臓の調子がイマイチで、二階に上がるのがキツくなっているから、暫くの間、居間に布団を敷いて寝ることにしている。
仕事をするには二階に上がらねばならんが、回数は減らせる。
十時頃に仮眠を取り、二三時間眠って、二時や三時に起きてまた作業をする。
こうして、居間で眠っていた時に観た夢だ。
ごく普通の日常の夢を観ている。
家人や息子が登場し、あれこれと話をしていた。
だが、突然、この夢が声でかき消される。
「起きて!」
夢の途中だが、割と大きな声なので、夢の内容が中断された。
すかさず続けて声が響いた。
「ほら。あっちあっち」
眼を開くと、すぐ前に女の子が立っている。
巫女着を着た十歳から十二歳の女児だ。異様なことに、顔の中で両眼が横にやたら長い。
一瞬、アニメの「猫娘」を思い浮かべた。
その女児が隣の部屋を指差している。
そこで、言われるまま、隣の部屋に眼を向けた。
居間の隣は息子の部屋で、息子は襖を開けたまま眠っていた。
その位置が随分とこっちの部屋に近い。息子は私の頭に寄せるような位置取りをしていた。
ははあん。何か怖い夢でも観たのだな。
その奥に目を遣るが、別段、何もない。
だが、猫娘はそのままその部屋の奥に指を向けている。
そこで眼を凝らしてその方向を見た。
「なるほど。何かの気配がある」
目視は出来ていないが、何かがいる。
「しまった。デジカメが傍に無いぞ」
今は家の中だろうが、撮影を躊躇しなくなっているから、手元にカメラがあればすぐに撮る。
たぶん、人影は出ないが、部屋の奥の空中に「眼」が開いている筈だ。
そこで、その方向に声に出して言った。
「おい。ここは俺の家だ。俺はともかく息子に手を出すと境界を越えることになる。自分の居るべき場所を守れよな」
相手がどのような者でも、決まりを守らぬ者の居場所はない。
少しでも怯んだら、何時までも付きまとう。こういう時は存続を賭けて戦わねばダメだ。
相手を滅ぼすまで戦うことだ。
気配はすぐに消えたが、伝わってはいないと思う。
こちらの体力が落ち、弱っているから、図に乗って前に出て来る。
「でも勘違いするな。俺は例え死んでも、そのまま死神になるからな」
今よりずっと出来ることが増える。
体を完全に起こし、先ほどの出来事を思い出した。
「医者が聞いたら、病気で心神耗弱状態にあると言うだろうな」
死期が近くなると、妄想を見る者が増えるから、きっとそれだと。
でも、医者はそういうのしか診てはいない。
程なく下痢が始まった。夕食を摂っていないから、理由が分からぬが、こういう場合にはよくある。「理由のない身体反応」が出る時には、何か別のことが起きている。
朝になり、先ほど家人を駅まで送って行ったが、その時につらつら考えたのは、最初の巫女着の少女のことだった。
あれは目覚めた後に起きたのか、夢の中で起きたことなのかが、自分でもよく分からない。
少女に「起きて」と言われて、それまでの夢が中断されたが、そこから少しの間、別の夢を観たのかもしれん。
繰り返すが、巫女着の少女はアニメの「猫娘」のような顔をしていた。
これは「私の側」に立つ者だと一瞬で分かった。
あの世の者が分かりよいのは、大半の者が「見えた通り」の心根を持つことだ。
生きている者であれば、物わかりの良い親切な紳士が詐欺師だったりする。
若き女結婚詐欺師は、見すぼらしいジーサンたちのことをこの上もなく大切に扱ってくれる。
だが、あの世(幽界)には、そんなのは滅多にいない。顔が怖ろしいのは、心も怖ろしいことが大半だ。
「あの娘は俺や息子に危機が迫っていることを知り、警告してくれたのだな」
と、ここまで来て、ようやく気付く。
「なんてこった。あの娘はトラじゃないか」
すぐに気づいていれば、昔話が出来たかもしれん。
それが潜在意識の産物だろうが、単なる想像や妄想だろうが、そんなことはどうでも良い話だ。
危機を知り、実際に警告して貰った事実があれば、それで十分だ。
今日は心臓の主治医に診察してもらう予定になっている。
「病気は医療で治す」が原則だ。医療で説明のつかぬ時に、直感の総てを動員する。
さて、中断された方の夢では、ひとつ面白いことがあった。
病棟で師長が言っていた「厄除け」のお札には、「寛山明権秀麿呂」と書くと良い。
「寛山明権」は「私に関わる者」のことで、「秀麿呂」は三年近く前の伊豆の旅館に現れた男の名前らしい。
お札を握り、「この人のところに行ってください」と言葉に出して言うと、ほとんどの悪縁(幽霊)を引き取って貰える。そんな夢だった。
ちなみに、宗教に関わるつもりも無ければ、開運の壷も売らない。
そもそも、私らは「神の使い」などではなく、アモンやイリスの側で「因果応報」を説く方だ。