◎検査の帰りに(600)
循環器(心臓)が面倒なのは、発症している時間が数分だけと短く、それを越すと自覚症状が消えてしまうことだ。このため、未病の人であれば、「よくなった」と誤認してしまう。
心不全や心筋梗塞を引き起こすかなり前から、症状自体は出ているのだが、それを「自覚」するには、知識や経験が要る。中高年になると、時限爆弾を抱え込む人が多くなるが、爆発する直前や、直後に至るまで気付かぬことがある。
ま、間近に患者がいて、発症するケースを直接見る機会があれば、「知識」が得られる。よって、家族が心臓の病気になったことがあれば、自分自身の早期発見に役立つかもしれん。
親がその病気を経験し、それを傍で見ていれば、子の方もいずれそうなる可能性が高いから、気を付けるようにはなる。
夢かうつつか分からぬが、「猫娘」を見た日は循環器の検査日だった。
こっちの病院にはコロナが拡大してからは来ていない。
ロビーには、これからワクチンを打とうという人が溢れていた。普通の内科で受理している模様。
診察の前に予備検査を受けた。
最近は160とか180はある血圧が、この日は130台。
「おいおい。この半年くらいではなかったことだ」
珍しい環境なので、周囲を観察していたが、その間にとりあえず心電図を採ったが、特に異常なし。
これは普通だ。検査の時に異常が見つかることは少ない。
医師は私と同年配で話しやすい。無沙汰の挨拶をした後、世間話をした。
病気については、検査で捕まえられぬのであれば、今の主だった症状を伝えるだけ。
「では、何かあったらすぐに来てください」
ま、次はひとまずフルコースで検査が入る。
玄関を出る時に呟く。
「おお。これも猫娘の効果だったりしてな。トラよ有難う」
そこで、買い物をして帰ることにした。
スーパーの駐車場に車を入れると、道路向かいのガラス面がちょうど撮影に適していた。
「午後三時で快晴か。ちょうどいいよな」
他の人に煙たがられぬように、道路を隔てた二十㍍以上手前からガラスに映る自分自身を撮影した。
残念なことに、想定していた事態ではなかったため、普段のカメラではなく、コンパクトカメラしか持っていない。
一枚だけ撮影して、後に車の中で画像をチェックすると、「あれあれ。日輪じゃないのが混じっているぞ」。
「日輪」はレンズに直射日光が入ることによって起きるプリズム効果のことだ。丸い玉が出るのだが、これは太陽を縮小して映したもののようだ。
だが、二十㍍は離れているし、日輪ならもっと大きく写る。
「それなら、とりあえず神社にも行こうか」
いつもの神社もそれほど遠くない。
神社に参拝したが、参拝客が多く、ゆっくりと撮影環境を整えることが出来なかった。
さしたる異変は見られぬが、そもそもコンパクトカメラでははっきりしない。
これは単純いTPOが整っていないせいだ。
帰宅した後に、PCで開いてみたが、私の後ろに「白い着物姿の女」がいるようだ。
この画像では、もちろん、「気のせい」「想像や妄想」の範囲だ。
私以外の者にとっては、その解釈で良い。
もちろん、当事者の私は違う。
私は時々、神社の窓ガラスの景色の中に「白い着物の女がいる」のを目視している。
これは画像の中に見えるのではなく、鮮明な目視だ。
要するに、「私に対してメッセージを持っている」ので、他の人にはまったく関係が無い話だ。
いつもと違うのは、この女影は「髪の毛を束ねている」ように感じることだ。
「普段、髪は肩口まであるようだったが・・・」
もしや別の女?
と、ここまで来てようやく事態に気付く。
「そう言えば、今朝方、巫女姿の猫娘に会ったばかりではないか」
答えは簡単に出た。あれは、やはり二番目の夢ではなかったのだな。
最近、自分自身について、「すごく幸運な面がある」と思うようになった。
普通の人は「死ねば終わり」で、家族や知人友人とはそこでオサラバだ。
生身の人間とオサラバなのは、私も同じ条件だが、私には「死後の仲間」がいる。
これは「確信」よりもさらに先の感覚だ。ほぼ「事実」。
こういうのは、つくづく心強い。
もっとも、アモンらのように「傲慢な人間たちに鉄槌を振り落とそう」という「悪い仲間」もいる。
良い方の仲間は、心を整えてくれる。
たぶん、それが自己免疫のスイッチを入れるのか、幾らかではあるものの病気を改善出来たりする。
いつも「何か」が教えてくれるので、危機をやり過ごすことが出来ているのだ。
ひたすら猫娘に感謝だ。