日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎どうやって危機を乗り越えたのか

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平成三十一年四月二十八日撮影

◎どうやって危機を乗り越えたのか

 この数年のうち、昨年の春が最も「土俵際に押し込まれていた」時期だった。

 既に一昨年の十一月くらいから体調が悪かったのだが、十二月一月はそれが極限にまで達した。手足が重く、息苦しいて、四五十㍍も歩くことが出来ず立ち止まる。

 「これでは三月までは到底もたない」と思っていた。

 ただ幸いなことに、車での移動なら多少は出来たから、お寺や神社に参拝参詣した。

 またいずれあれと同じような危機が来るだろうから、過去の状況を時々、振り返って確かめることにした。

 

 画像は昨年の四月二十八日に、嵐山町の鬼鎮神社で撮影したものだ。

 数年前から、ガラスがある神社仏閣では、必ず自分自身の姿が映るように写真を撮影している。もはや今では習慣だ。

 赤外線撮影の画像が、かなり厳しい内容だったので、そちらにばかり気を取られていたが、改めて点検すると、通常撮影の段階からしっかり来ていた。

 何となく「影があるなあ」とは思っていたが、よく見ると、大きく黒い女が私の後ろに立っている。

 「ありゃりゃ。こいつは不味いヤツじゃんか」

 いわゆる、「お迎え」に近いヤツで、ひとの死期を悟って寄り付く手合いだ。

 おまけに、左後ろには、顔を寄せるように別の女が寄り付き、私の胸に手を回している。

 私にはよく起きる構図だが、改めて目視するとやはりゲンナリする。

 ほとんどの人が確認出来ず、見えないのだろうが、それは仕方がない。

 私はこの手の姿を散々見させられて来たから、ごくおぼろげなシルエットでもそれと分かる。

 

 「これじゃあ、具合が悪かったのも当たり前だ」

 ぞろぞろ、ずりずりと引き連れて歩いていたわけだ。

 赤外線撮影の方は、当事者の私にとってはさらにキツく、説明する気が起きない。

 こちらは、ほとんどの人は何が何だか分からないと思う。

 だが、繰り返しになるが、私は幽霊たちに追い詰められていた当の本人だから、分かり過ぎるくらい伝わる。

 どういう服装をして、どういう感情を抱えている、とかが、波のように押し寄せる。

 ま、第六感の基本は「想像や妄想」なのだが、具体的事実と噛み合って来ると、あまり気分は良くない。

 

 それでも、危機を回避するためのヒントはこういうところにあるらしい。

 こういう時の対処法で、最も重要なのは、幽霊に同化されず、突き放すことだ。

 「俺は既にお前を見た。どういうヤツかはもう承知している。俺には救うことは出来ないが、心を込めてご供養してやるから、それで納得してくれ」

 追い払うのではなく、敬意を払いつつ、相手との間に線を引く。

 これで、多くの場合は、自ら去って行く。もちろん、あくまで「多くの場合」ということだ。

 

 病気は原則、病院と医師に直して貰い、自身の免疫力を高めることで改善される。

 ただし、もしそれが及ばぬ時は、別の手立てを考える必要がある。

 そのためには、日頃からそのための準備をして置くことだ。苦しい時になって、神や仏を頼っても、奇跡など起きない。

 

 ちなみに、この神社の名称をそのまま記載したが、何とか「スポット」みたいな場所ではないので念のため。幽界霊界に関わる神社やお寺では、説明のつかない現象が起きるものだが、特別、その場所だけで起きているわけではない。

 何時も誰の周りにも、説明のつかない現象が起きているのだが、単にほとんどの人が見えず・聞こえないだけ。