日刊早坂ノボル新聞

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◎久々に参拝(639)

令和四年五月二十九日撮影

◎久々に参拝(639)

 今は数十㍍歩くのもしんどい状態だから、ほとんど外出していない。

 それでも、家人に「週に一二度はまとめ買いしておかぬと飲み物にも困る」と言われ、車で出かけることにした。

 家人を目当ての店に放し、ダンナの方は神社に参拝することにした。

 今のように生命力が落ちている時には、霊気に触れるのはなるべく避けた方がよいので、神社やお寺を訪れるのは「調子が良い時だけ、月に一二度」と決めている。

 ま、足繫く訪れようとしても、脚が言うことを聞かぬし、肺も苦しい。

 

 家を出掛けに、「今は具合いが悪いので、色々と幽霊たちに寄り付かれているだろうから赤外線ライトを持参しよう」と気付き、机から引っ張り出して鞄に入れた。

 神殿前で撮影した最初の画像では、私の周辺は概ね「気のせい」の範囲だった。

 一方、たまたま左側に女性客が上がってきたところだったが、こちらは問題がありそうだ。

 そもそも、周囲の景色(空気と光)が著しく歪んでいる。

 私の見立てでは、この女性客の真後ろには「女」がいて、この人を抱きすくめているように思う。

 女性客はバッグに手を入れて、おそらく奉納銭を取り出すところだったのだろうが、この女性の腕の裏側に、背後の「女」の腕が隠れている。胴体に手を回ししっかり掴んでいるわけだ。

 ここまで緊密に密着しているなら、少なからず影響が生じている筈だ。

 とりあえず、神社に来ようと思ったのは良い。

 

 この後、私はちょっとした悪戯?を思い付いた。

 子どもの頃、懐中電灯を顔の真下に持ち、上向きに光を当てると、顔に陰影が付き、不気味な表情になった。それと同じことを、赤外線ライトで行ったら、果たしてどんな風に写るのか。

 だが、うっかりしてフラッシュを立てたままだったので、これも同時に光り、赤外線の効果が台無しになってしまった。

 ま、カメラの感度は赤外線域からほんの少し入ったところだから、正しく撮影したところで、写真に残ったかどうかは不確かだ。

 なお、フラッシュ光の上の方はカメラのフラッシュで、下の小さいのは赤外線ライトだ。

 この小さなしくじりで、私の顔が怪物に写ったりすることはなくなったが、左側に女の顔のようなものが出ていた。

 一枚目で「気のせい」と記した人影に似ているが、もし同じなら「気のせい」ではなかったことになる。でもま、こっちもほとんど「気のせい」だ。圧力が寄せて来ない。

 

 一方、赤外線ライトを自分に向けたので、左の肩口に煙が写った。

 ごく薄い煙のようだが、これは「女」だ。時々、息遣いにも似た気配を感じるから、これは姿が見える・見えないの問題ではない。

 私は「直接触っている」から、これが女だと分かる。視角の話ではない。

 最近、こういう感覚が強くなっているのは、ひとえに「重い病気を抱え、何時死んでもおかしくない状態」だからということだろう。

 神社仏閣への参拝を減らしたのは、こういう感覚を鈍くしようという意図もある。

 

 ちなみに、あの女性客のように、幽霊がまとわりついて来た時、自身がそういう状態だと知れば、少なからず驚く。だが、冷静に対処すれば何も問題が生じない。

 誰の身にも時として同じことが起きており、常に引っ付いたり離れたりしている。

 日頃の考え方や振る舞いを顧て、正すべきことを正せば、自然に離れて行く。

 ダメなのは恐怖心に駆られて、狼狽えることだ。

 心が揺れ動くと、隙間が生じやすいので、幽霊はその隙間から心に入り込んで来る。

 それが本物の幽霊でも、あるいは単なる「気のせい」であっても、然るべき処置を自然に取るような習慣を持てば、容易に解決できる。

 自分なりの信仰を持ち、先祖を敬い、身の回りの家族を大切にすれば、心を強くすることが出来る。

 

 赤外線ライトを使い、「最初に人影を捉えるとすれば、それは男」だと思っていたが、今回は出なかった。ま、いずれ白日の下に晒そうと思う。