日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎扉を叩く音 (続)

◎扉を叩く音 (続)
 毎年、「秋から冬にかけて、深夜、玄関の扉を叩く音が聞こえる」話の続きです。

 十月五日午前四時二十分の記録。
 夢を観ている。若かりし頃の楽しい夢だ。
 男女数人で、どこかに行楽に出掛ける話だった。

 「ピン・ポーン」とチャイムの音が響く。
 その音に驚いて、目を覚ました。
 「まさか」
 だが、どうやら、その音は自分の頭の中だけで響いたようだ。
 「そうなると、潜在意識が『目覚めろ』と言っているわけだな」

 再び眼を瞑る。
 するとすぐに、今度は「ピロポロピロポローン」と受話器のベル。
 これも自分の頭の中で響いている。
 「何でだろ。何故この時間に起きねばならんのか」

 すると、ほとんど間を置かず、息子の唸り声が聞こえた。
 息子は隣の部屋で眠っている。
 「ううん。ううん」
 魘されているのだ。
 「まったく同じ時刻に異変を感じているのか」
 でも、まあ、ここまでは「気のせい」の領域だ。

 すると、テレビの前に置かれた菓子袋の中から「パチン。パチン」と物が跳ねる音がした。
 袋の中身は飴玉だ。
 これは物理的に響いている。
 「おいおい。こりゃちょっと不味いんじゃねえか」

 傍らにスマホがあったので、それを手に取った。
 「今、部屋の中を撮影したら、たぶん、煙玉が充満している」
 そんな確信があったのだ。
 カメラに切り替えたが、しかし、そこで考えを変えた。

 「待て待て。今年は煙玉だけじゃなく、『別のもの』が写る可能性もある。自分ちの居間で、そこには居ないはずの誰かに立たれたら、もはや普通の暮らしは出来なくなるだろ」
 そこで、スマホを置き、再び横になった。
 「おい。悪戯は止めとけ。ここは俺の家だぞ。お前のじゃない」

 今年はもう無いのかと思っていたが、やはりまた始まる。
 しばらく前に想定した通りで、昨年までは玄関の外だったが、今年からは家の中でもおきるということだ。
 体調が急激に下降しているところに、憂鬱な事態が重なっている。
 あるいは、体調が落ちていることと関係しているのかも知れんが。

 追記)写真を撮ったら、「何か」がいることを実証出来そうだったが、そんなことをするバカはいません。言い逃れが出来なくなってしまいます。
 ま、あの飴玉が「バチン」「バチン」と割れる音だけで、「普通じゃないことが起きている」と分かると思いますが。
 この手のも、実際に経験した人はごく僅かです。
 私と1日2日の間、行動を共にすると、どこかで経験することは出来ると思います。一緒に見たり聞いたりした人が数人いますが、絶対に「あれは気のせい」とは言いません。
 結果、その話題と「私」を避けるようになります。
 ひとは信じたくないものに直面すると、向き合うのを避け、遠さかります。
 言うまでも無く、それは私のせいではないです。
 ちょっと理不尽。