◎夢の話 第1K36夜 大入道の首を切る
二十七日の午前三時に観た夢です。
我に返ると、俺は僧院の書庫で古文書の整理をしていた。
メンバーは三人で、ここでは資料の内容をさっと読み、整理番号を付けて行くのが俺たちの務めだ。
書物・書状はかなり古く、天正年間くらいから明治までのものがある。
書状に混じって、時々、絵画なども出て来るから、割と楽しい。
作業が一段落ついたので一服することにし、縁側廊下に出て端に座った。
中庭では、アニメのキャラかぬいぐるみのような蜘蛛が一人で遊んでいた。
さすがに、現実には有り得ぬ光景だ。
「なるほど。これは夢か。俺は夢の世界にいるから、一部が主観的な表象に置き換えられている。このぬいぐるみのような蜘蛛は、実際にはシャツに蜘蛛の模様がある子どもみたいなヤツだろうな」
夢の世界では、自分が思い描いたイメージがそのままかたちとして表現される。
これはあの世でも同じだ。成仏出来ぬ魂(幽霊)は、自身が思い描いたイメージを観ている。死者は既に視角聴覚など感覚を失っているのだから当たり前だ。
仮に幽霊が生きた人間の傍にいたとしても、人間のことを見てそれと分かるのではなく、その人間の出す感情を波動として受け止め、イメージに変える。
幽霊たちは、主観的に構成された世界の中で生きているのだ。
俺は蜘蛛が遊んでいるのを観ながら、住職が出してくれたお茶を飲んだ。
長閑な昼下がりだ。
だが、その静寂が不意に破られた。
生垣の向こうから、大きな禿げ頭の男が現れ、中庭にずんずん入って来た。
袈裟のようなものを身に着けているから、どうやら僧侶らしい。
近くで見ると、背の高さは二㍍に近そうだ。
その禿げ頭は、俺たちの方には眼もくれず、蜘蛛に歩み寄ると、足の一本を掴み引っ張り始めた。
俺たちに背を向け、寺の外に蜘蛛を連れ去ろうとしている。
「コイツ。誘拐犯じゃないか」
この蜘蛛は、ぬいぐるみの蜘蛛のようだが、れっきとした男の子だ。
「あの坊主頭の感じは到底人間じゃねえな」
なら、もし蜘蛛の子がそいつに連れ去られれば、後で酷い目に遭わせられてしまう。
「そんなことをさせるわけには行かん」
俺は寺の中に駆け入ると、祭壇のところに預けていた自分の刀を持ち出した。
俺の家には破魔用のご神刀と、別に仏式のお祓い刀があるのだが、後者の刀にこの寺で祈祷を授けて貰おうと預けていたのだ。
俺は中庭に飛び降り、裸足のまま禿げ頭に近づくと、背後から「エイッ」と刀を振り、剥げ頭の首を切り落とした。
刃が肩に当たりそうな角度だから、かなり難しいのだが、この剥げ頭が不幸だったのは、俺がそういうのに慣れていたということだ。
程なく中の二人と住職が背後から近づき、大男の首と胴体を見た。
仲間の一人が「コイツは何なの?」と俺に訊く。
「コイツは悪縁(悪霊)で、子どもを攫っては食っている。コイツが二度と目覚めぬように、徹底的に破壊しなければならんですな」
俺はもう一度刀を振るい、剥げ頭の頭頂部を一刀両断した。
「よく平然と出来るよね」と仲間が言う。
「ああ。昔、首切り人をやったことがあるからな。天保五年だったか六年だったかは忘れたが、今も首の切り落とし方を憶えている」
何せかれこれ六七十人分の首を切り落としたから、幾度生まれかわったところで忘れようがない。
ある意味、これが俺の務めだからな。
ここで覚醒。
子どもは蜘蛛のデザインのシャツ(たぶんスパイダーマン)を着ているのに、自分には蜘蛛そのものに見える。
見えているのは蜘蛛だが、私はそれが子どもであると知っている。
「眼に見えるものは蜘蛛だが、しかし実体は子ども」という意味で、今、私が見ているものの多くがこういう事物になっている。
私が「ここに幽霊がいる」と言えば、かたちが見えなくとも、必ずそこにいる。もはや私の大半があちら側の一員なのだから当たり前だ。
この世とあの世は、別の意味を持っており、かたち(表象または形象)として現れるもの自体が違っている場合がある。この辺を言葉で説明するのは少し難しい。
テレビで観ていると、プーチンの首はなかなか切りごたえのある良いかたちをしている。