日刊早坂ノボル新聞

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◎彷徨い歩く女  (一年前の振り返り)

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令和三年五月三十一日撮影

◎彷徨い歩く女 (一年前の振り返り)

 掲示画像は昨年の五月に撮影したものだ。

 あの世とこの世の間に接点が生じる時には、光の進行角度に影響が出ることがあり、多く景色が歪む。

 このため、理由なく景色が歪んでいる場合には、「そこに目に見えぬ何かがいる」ことを疑う必要がある。

  さらに部分的に景色が霞んでいたり、煙が出ていたりすることで、想像が推測に変わる。この特徴に慣れると、幽霊が写り込んでいる場合に発見しやすくなる。

 殆どの人ははっきり見えるものを探すわけだが、基本的に幽霊はいつも可視域の外にいる。これが何かの要因によって、可視域側に移動すると、目視でも確認出来るようになる。カメラの感応域は人間よりも赤外線域に広いから、「目には見えぬが画像には残る」ことが起きる。

 

 こういう特性を理解すると、最初の画像の右側に「異変」を見付けることが容易になる。最も分かりよいのは、真っ直ぐな筈の屋根の歪みだ。

 ガラス面に歪みが無いのに、ある瞬間だけ景色に歪みが出ることがあるが、この時には何らかのはっきりした理由がある。

 そのひとつが「そこに幽霊がいる」というものだ。

 

 まず二枚目の画像だ。右側の建物の屋根の高さは二㍍を優に超えている。

 その傍らに女性の姿がうっすらと見えるのだが、屋根の高さから見て「たまたまそこにいた人」が写ったわけではないことが歴然だ。

 そもそも半透明で、胸から下が消失している。

 三枚目が拡大図だが、髪の長い女性のようだ。女性はリュックを背負い、たぶん左手にペットボトルを持っている。女性の口が開いており、その口から尋常ならぬほど長い舌が垂れ下がっている。

 こんな風に舌が飛び出るのは、縊死して長い時間そのままでいたケースではよくある。

 

 女性の右奥には人型のシルエットがあり、全体としては「カメラを構える人」の姿を為している。だがよく見ると、その体を構成しているのは、ばらばらな顔だ。

 頭の付近には口を開けた老婆がしがみつく様子が見えている。

 この人影は何故にカメラを構えているのか?

 その答えは画像の左側にあり、そこにはカメラを構えた私の姿がある。

 複数の幽霊が実体化し、この世の者に姿をやつす時には、まず最初に「その場近くにいる者(生きた人間)に姿を似せる」場合がある。カメラを構えた人間(私)が近くにいたので、ひとまずそれを真似て人間の姿を作ろうとした。

 これは幽霊・幽体が実体化しようとする時には、往々にして起きることだ。

 

 死が近くなると、死の匂い(気配)を感じ取って、幽霊がいつもより一層集まるようになる。そういう場合に幽霊がその相手の姿を真似ることがある。

 死期の到来を示すアイテムのひとつに「ドッペルゲンガー」(「もう一人の自分」もしくは「そっくりな人」)があるわけだが、あながち伝説だけの存在ではないのかもしれぬ。

 

 女性は自死した後も、この世とあの世の間を彷徨っている。

 心の中が死に間際の感情に囚われたままだから、その執着心から解放されるのは、かなり先のことになる。身内の者が声を掛け、慰めることが必要だ。

 

追記)左手に持っているのはミネラルで「南アルプスの天然水」だと思う。1.8Lを持ち歩いて、直接それから飲んでいた。女性でもたまにこういう人はいるわけだが、やはり周囲からは「変わり者」と思われていた。

 自死に至る直接的な引き金はなく、「何となく生きていたくなくなった」から。

 このため、割とおどろおどろしい表情には変じていない。

 頸部が締まってから、七八分は生きていたようで、このため舌が出た姿のままでいる。死んだのはその直後。

 これ以上注視すると、共感してしまうので、ここまで。

 

 説明が煩雑になるので省略したが、外の女性の右向かいにもバッチリ立ってこっちを見ている。

 周囲の人間(生きた)に影響を与える存在ではなく、自己都合により佇んでいる。

 

 慣れて来ると、最初の画像で「ここにはいるなあ」と悟るようになる。

 ま、神社の前だから、その場で災いを与えるようなのは来ない。

 知らずに「良くない場所」に入ってしまった時の対処は「熊に出くわした時」のそれと同じ。視線を向け、「きちんと見ているぞ」と示しつつ、ゆっくり後退りする。

 背中を向けて逃げると、後ろからついて来る。

 まるっきり熊と同じだが、連れて来てしまった時には、直帰はせず人込み(スーパーや駅の雑踏)を通ってから帰ることだ。

 こうすると幽霊の注意力が散漫になり、自然と離れることが多いようだ。こちらも幽霊の姿が見えぬが、相手からも見えるわけではない。心の波動(感情)を感じ取っているだけ。

 誰か他の人に幽霊を渡すわけではないので、負い目に感じる必要はない。

 

 この画像くらいになると、六七割の人が「女性が横向きに立っている」と認識出来る。

 幽霊がどういう風に存在しているかを知り、それに見慣れて来ると、いっそう状況が鮮明に見えるようになる。ほんの僅かな光の歪みで、見えぬ筈の人影の所在を検知するようになる。

 そこまで来てしまうと、心底より煩わしい。周囲から人影が消えることがほとんど無くなるからだ。

 そこからは、「第六感」の所在は「能力」でも何でもなく「悪夢」になる。

 肉眼でも感じ取れるようになってしまうと、もはや最悪だ。

 たぶん、今なら確実に「出して見せられる」が、もはや死に掛けの者にとって、そんなものは何の価値もない。