◎八月九月に起きる異変
これからの時期、どういう展開で「異変」が起きるのかを確かめるために、令和元年から二年二かけての不審事をざっと抽出してみた。
例年五月から梅雨が明けるくらいまでの季節には、ほとんど何も起きない。
これを過ぎると、少しずつ様々なものが顔を出すようになる。
1)画像の中の身体シェイプの変化
「ガラス窓に自身の姿を映す」などして撮影すると、光の交差角度が合致するのか、画像だけに目視では見えぬものが写ることがある。
七八月に頻繁に起きるのは、私の場合、「片腕だけ膨れる」というものだ。
普段は別に異状がないのに、突然、腕が膨れて写る。もちろん、ガラス面に歪みがあるわけではない。幾ら同じ場所で撮影しても、通常は問題なし。
2)煙玉が出始める
煙玉現象は、自然現象あり、説明のつかぬものありと様々で、幽霊が出る時にもよく現れる。付帯物(または現象)なので、煙玉自体を気にする必要はない。
煙玉自体が直接何かしらの影響をもたらすこともないから、これを怖れずともよい。
もし、煙玉を撮影してみたければ、「快晴の日の日没以後」に、「寺社の山門」か「神社の外鳥居」の外側から撮影してみるとよい。
ただ、仮にそれが幽霊の付帯物の場合、主役の幽霊の方は「中に入れぬ者」、すなわち「不浄の者」(悪縁の手前)だと思う必要がある。きちんと敬意を払い、「あの世の所在を知るために必要なので撮影させていただきます」などと断って行う。前もって断るのは、見知らぬ人を撮影させて貰う時と同じことだ。
ほとんどが自然現象だが、幽霊の周りにも出る。おそらく何かの科学反応による。
3)人影が写る
十月以降、空気が乾燥することが多くなると、人影が写ることがある。
幽霊画像が頻繁に、かつ鮮明に写るのは十二月や一月のことで、夏ではない。
ただし、人間の可視域の境界線よりやや外にいることが多いので、ほとんどが「霧の中」か「摺りガラスの向こう側」にいるように見える。
カメラが対象を捕捉する範囲は人間の眼より広いのだが、いくらか広いという程度。
自動ピント合わせの場合、幽霊が対象の中に混じっていると、どれに合わせるかが判断付かぬようで、多くの場合、ピンボケる。
よほど見慣れぬと、判断が付きにくい。
付記)声
この他の要素として「声」があるわけだが、画像と違い、音の収録はタイミング合わせが難しい。ただ、「説明のつかぬ煙玉」の出現頻度が増すと、次第に「かやかや」と小さな声が聞こえ始める。
自分だけに聞こえるなら、心に異常を来たしているケースもあるだろうが、私の場合は、傍にいる者(家人など)も同時に同じ声を聞くから、「気のせい」ではないらしい。
今年も既に八月だが、割合、気持ちに余裕があるのは、「腕の膨れ」「景色の著しい歪み」が始まっていないからだ。
警戒心を高めるのは、右腕が膨れ、稲妻が走るようになってからでよい。
いずれにせよ、対幽霊の原則を守れば、何も起きない。
「筋(性質)の良くない幽霊」が「とりわけ自身(だけ)に関わろうとする」場合には、ある程度対処が必要だが、直接の悪意の対象に入っていないのなら、水やお神酒を上げお焼香をするなどして慰めるとよい。
「恐怖心」「好奇心」から行動すると、良くない結果をもたらす。