◎「短髪の男」への補足
前回の画像十枚目に「短髪の男」の画像があるのだが、この男の背中には「女」が貼り付いていて、胴体に両手を回しているようだ。
追加画像を添付する。
男の後ろに何かがいると思っていたが、女(複数)らしい。
例によってムカデ行列になっている。
間に人の顔のようなものが見えるが、これは室内の案内板の絵がデフォルメされたもの。影の方が本物だ。
この男は生前、女児を誘拐して殺していたのか、いつも「生気のない女児」を連れている。死んでも性癖は変わらぬらしいが、その代わり女の悪縁が寄り付いているということだ。
幽霊が現状での「自我」を保つためには、他の霊と同化・合体するしか方法が無い。
そこで、自分と近しい相手を探しては、その相手にペッタリと貼り付く。
「幽霊」と聞くと、反射的に「祟り」とか「障り」を思い浮かべるわけだが、当事者の幽霊はそれどころではない。
自意識を保持するには五感が必要だが、幽霊にはそれが無い。
そうなると、時間の経過と共に「自我」が薄れて来る。これは「消滅」と事実上同じことだから、幽霊は「消えてしまわぬために必死」でいる。
この場合、既に死んでいるので「必死」という表現は変だが、「気を確かに持つためには、他を取り込むしかない」ということだ。
このことで、よくホラー小説や映画で「悪霊が人間に『お前を必ず殺してやる』と告げる」のはウソッパチだと分かる。
幽霊にとっては生き死に自体には興味はなく、自身に相手を取り込めるかどうかのほうが重要だ。
「お前を殺してやる」ではなく、「お前を取り込んでやる」「お前を食ってやる」の発想の方が正しい。
自我の消滅は、考えようによっては「霊魂の寛解」すなわち「成仏」と同じことなのだが、生前の執着心を捨てられぬ者にとっては「消滅」であり「二度目の死」という意味になる。
自分自身が消滅してしまうのは、ある意味、この上もなく怖ろしい。
生き残るためには、五感(肉体)を経由せずに、自己を再確認する必要があるので、他の自分と似たような者を取り込んで、自我・自意識を強くする。