日刊早坂ノボル新聞

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◎さらに「魔物」の追加検討

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◎さらに「魔物」の追加検討

 通常、幽霊は思考能力を持たない。怒りや悲しみなどの感情だけで自我を保っている存在だ。自我・自意識は五感によって強化されるわけだが、既に肉体を失っているので、次第にその自意識は朧気になる。幽霊にとって、自意識を失うことは消滅することを意味するから、何とか生き残りを図ろうとする。

 その手段が同化・吸収・合体という手法だ。あるいは「共感」による同一化と言ってもよい。

 それが生者であれ、死者(幽霊)であれ、同じような感情を持つ者は共感しやすい。

 生きている者であれば、頭の中に巣くって様々な願望欲望を囁く。「怒り」が止められなくなったり、「どうしても死にたくなる」ことには、その人ではない誰かが背中を押しているかもしれぬ。

 この「共感・同一化」または「同化・合体」を繰り返すと、自我・自意識が強化されるから、次第に心が強くなる。念が形成されて来るのだ。

 欲望や願望に最も近く、念に結び付きやすいのは「怒り」や「恨み」などといった負の感情になる。幽霊の大半が「おどろおどろしい」のは、このような経緯による。

 幽霊が一体だけのシンプルな姿をしているのは、死後まもなくか、さほどの苦痛を抱えていない者になる。こういう状態の者は容易に自我・自意識を解放出来る(自我の寛解)ので、ひとの姿ではなくなる。霊本来の世界に戻って行くわけだ。

 

 かたや数多くの幽霊が同一化し、感情と自意識を強化すると、人間の知能に似た働きを持つようになるようだ。生きた人間のするような論理的な思考とは違うが、自身の目的を満たすために、様々に自分自身を変化させる。

 最初の参考図は、もはやお馴染みになった「白い女」の画像だ。私が神殿の前に立った時には前に若者がいたが、そこで一枚撮影し、その若者が去り、周囲に誰もいなくなった状態で再び撮影した。

 すると、突然、ピントが合わなくなり(よくある)、私の周囲には「そこには居ない筈の人影」が多数写っていた。

 ピンボケでもはっきりと分かるのが、まずは左側の半裸の白い女の顔と腕だ。

 右側の男は、つい先ほどまで前に立っていた青年によく似ているのだが、よく見ると頭髪が長くなっている。それにもまして異常なのは、私の胸に左腕を差し入れていることだ。

 周囲に人のいない状況で、他人の心臓に手を当てる者が果たしているだろうか?

 答えはひと言、「アリエネー」だ。

 だが、撮影当初はしばらくの間考えさせられた。

 その結果、判明して来たのは、「その場に居る人に化けている(似せている)」ということだ。

 他の画像でも、私の「ふりをした」ものがあるし、別人に似せたものがある。

 要するに、さりげなく近づくために、その場に溶け込もうと工作しているのだ。

 はなはだしい時には、同じ人物が「二か所に写っている」ことがある。

 こういう「人に化けて近付く」者は、最も警戒する必要がある。

 こういう行為の目的は明確で、心の中に入り込んで、共感させ、同一化を図ろうとすること以外にはないからだ。

 

 十一月二十三日の画像で、最も気になったのが、最初の画像の「魔物」が「私に化けている」のではないかという疑いだ。

 三枚連写したので、私自身のシルエットを並べてみると、非常によく似ている。

 この場合、「ただの目の錯覚で、たまたまそう見えただけ」というのが、私にとっては最も嬉しい事態になる。その場合、私はただの「そそっかしい妄想癖」の男になるわけだが、それなら、私自身にはこの後、さしたる異変が起きないことになる。

 自他ともに「奇人」で話を終わらせることが出来るのなら、それが一番良い。

 

 だが、これまでの経験では、そんな淡い期待は必ず裏切られる。

 幽霊の作為には、必ずどこかに理不尽なほころびが生じるものだ。

 三枚でもっとも分かりよいのは、サイズのぶれだ。私は行列よりかなり後方で撮影したのだが、一枚目では行列の脇に立ち、頭一つ分抜けた身長になっている。

 常識的には、遠くの者は小さく写るので、体全体が縮小している必要がある。 

 しかし、「魔物」は基本的に私のシルエットを利用していると思う。同じ大きさに三つの「私」を並べてみると、やはりかなり似ている。違いは、私の前の煙玉の位置が移動していることで、それが接触する内外で画像が歪んでいる。

 一枚目では、私の頭の周囲にもうひとつの頭があるようにモヤが見える。

 二枚目では、私のジャケットの下に見えるのが、前の人の手と後ろの柱だけ。すなわち脚が消失している。(これはウェブ画像では見えないかもしれない。)

 そして三枚目だ。ウェブ公開画像ではどの程度確認出来るか分からないが、「黒い女」がばっちり出ている。手元の画像では、両眼を見開いた様子がはっきり写っていた。

 コイツは、これまで私が「スペードの女王」と仮称していた悪縁(霊)だ。いつもは遮蔽物のないところで「影」だけを見せるのだが、はっきりと顔を出したのはこれが初めてになる。全身黒づくめの服を着て、顔を半分隠している。

 強い悪縁になると、目視が可能になるほど、鮮明に姿を現すことも出来るし、その逆に気配を完全に消すことも出来るようだ。

 実は姿の見えぬ方が怖ろしいのだが、こちらが「どうせ抵抗して来ない」と見切られたか、あるいは「眼中に入らなかった」かで、かたちを示したのだろう。

 

 流れ的には、私の後方からやって来て、頭を通過し前に出た、というところのようだ。

 お寺や神社には、多くの人が願い事を抱えてやって来るが、そういう感情や念(情念)に惹かれて、幽霊も集まる。

 「黒い女」はそういう幽霊たちの方を捕まえるために見張っており、時々、こうやって吸収するのではあるまいか。

 

 一連の流れには、何らかの繋がった意味があるのかどうか。

 この後、四枚目の写真を撮影したのだが、参拝客の頭の後ろに、女の幽霊が貼り付いていた。これがこの男性に執着心を持ってしがみついているなら、男性自身が身辺整理をし、きちんとご供養すれば、悪縁は徐々に離れて行く。

 ただ、三枚目の「黒い女」が関わっているようなら、かなり厳しい状況だ。

 これから他力本願のお祓いをしたところで、まったく効き目なし。

 本人も、疑いなく「異変が起きている」という自覚症状があると思う。

 物音はするし、人影も見るだろう。何故なら、現実にこの「女」が傍にいるからだ。

  この男性が祈祷師に浄霊を頼んだら、さぞ高額な値段を請求されるだろうと思う。何せ関わる方も命懸けになる話だ。

 

 この日の画像は要素が多すぎて収拾がつかないほどだ。

 すべてが「ただの妄想」であってくれと願う。

 ま、一番の望みは「自分が魔物の仲間もしくは手先ではありませんように」ということに尽きる。あとはどうにでもなる。

 

 追記)どうしても見えぬ人のために画像を追加した。男性の頭の後ろにいる「女」と女の手(指)先が見えると思う。

 別に私の方を見る視線もあるようだ。

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