日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎ひとはなかなか死なない

◎ひとはなかなか死なない

 父は常々、「人間はなかなか死なない」と言うが、時々、その言葉を思い出す。

 

 対面ベッドの患者が、昨日、病棟に戻って来た。この患者は、ふた月前に病棟に来て、ひと月前に去っていた。

 やはり重篤な状態で、そういう患者のいる病棟に移っていたのだが、今は持ち直したようだ。

 少しく血色も良くなっており、その変化は幾らか感動を覚える程だ。

 「あそこから生き返るのか」

 

 でも、その女性患者はやはり今もざんばら髪で幽鬼のようだ。

 見る度に「山姥とはこんな感じか」と思ってしまう。

 

 私は病院に滞在する時間が長いので、「死にそうな患者」、「死ぬ患者」、「死んだ患者」をよく見るが、ひと月前、この女性患者は間違いなく「程なく死ぬ患者」だった。

 ベッドから顔を上げると、この患者が私の方を凝視しているので、時々、驚かされた。

 さすがに薄気味悪い。

 

 しかし、対面の私のことを凝視していたのも、きっと「意識が朦朧としていた」ということだったのだろう。

 それがこっちの病棟に戻って来るのだから、ひとの生き死には分からない。

 ま、死ぬ者はあっさり死ぬし、しぶとい者はなかなか死なない。

 

 父も数年前にはかなり危なくて、妄想みたいなものまで見るようになっていたが、施設で生活を管理されるようになったら、頭もしっかりした。

 やはり心身・環境を「整える」ことで、だいぶ変わって来るのだろう。

 

 向かい側の患者は、長く入院しているのか、髪はざんばら、体は痩せており、まるで骨格標本のよう。繰り返すが、第一印象は「山姥」だ(やや失礼だが)。

 でも、今は顔に血色があり、普通に話している。

 人間界に戻ったらしい。