日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎謎がひとつ解ける

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令和二年十二月七日撮影

◎謎がひとつ解ける

 この数日の経緯を再度振り返ると、以下の通り。

1)最近、「女(幽霊)」が身近に出没する頻度が高まった。どうやら同じ女で、私が「イリス」と呼んでいる悪霊の類のようだ。なお、「イリス」は種別を示すもので、複数いる。三姉妹に例えたのだが、もっと沢山いるようだ。

2)「この女が何時から傍に来るようになったのか」という疑問が湧いたので、画像を検索してみることにした。画像は「煙玉写真」というディレクトリに収めているから、そこを調べることにしたが、「女の幽霊」では何百枚も出るし、「イリス」は最近名付けたものだ。そこで、ふと思いついて「友だち」で検索した。

3)現れた画像は一枚で、そこには「女」の頭と煙(幽界の霧)が写っていた。

 なお、画像や周囲の説明書きには、どこにも「友だち」という言葉はない。

 

 以上のことから類推すると、イリス(長女:ベラ)が私を見付けた時点が二年くらい前で、このイリスは「私のことを友だちだと思っている」か「私に友だちになることを求めている」という意味だろうと思う。 

 

 前回、「イリスとはこれ」を示すために、末尾に画像を追加添付したのだが、そこで思い出したことがある。

 撮影当時も「女の視線は何に向けられているのか」が分からなかったのだ。

 「女」が取り憑いている男性でもなければ、私でもない。私は男性の後方にいるが、「女」は斜め前を見ているからだ。

 では何を?

 そこで、今回、配置を確認してみたが、ガラス映像は鏡と同じく左右が逆さまになるから、実体の方の「女」の視線を辿ると、その先にいたのは「ガラス映像の私」だった。なるほど、ガラスに映る私を見ていたのだ。

 ここで私の方に視線を転じると、ファインダに「私のものではない眼」が開いている。これは時々あるのだが、おそらく別の幽霊、たぶん、私がアモンと呼ぶ悪霊が「私の眼を通して外界を見ている」のだろうと思う。

 そうなると、「女」が見ていたのは、私ではなくアモンなのだろう。

 おそらく「イリスはアモンに接近しようとしている」ということだ。 

 「友だち」で画像が出たのは、おそらくメッセージの類だろう。たぶん次は出ない。

 

 この日は「あの世(幽界)」の素材が複数撮影出来た日だった。

 最後の画像は、この日の最初のものだったが、かなり後方にいる私の姿が十メートル以上前に映っており、かつ顔が変えられている。他の人の背丈からすると、190センチはある。最初は女性に見えたので「ベラ(すなわち化け物)」と呼んでみたが、私の姿をデフォルメしたものだった。

 ま、アモンの類が中に入っていたからだろうと思う。

 

 これでひとつ謎が解けた。悪縁の姿を見掛ける機会が多いのだが、私に関してはスルーするので、不思議に思っていた。要するに、やはり「仲間のうち」ということだ。

 相手が分かれば、対処法が見付けられる。

 そこで、イリスへのご供養を施し、対話をすることにした。

 差し当って、「見ていてもよいが、傍に立たれるとドキッとするから、三メートルは離れていてくれ」と頼んだ。

 もちろん、ゼロになることは無いのだが、このところの不審事が急速に収まりつつある。

 二月の危機も、たぶん、越えられたので、夏を過ぎるくらいまでは生きられるのではないか。時間の目途が立てば、原稿を書く目当てが立つ。

 

 ちなみに、こういうのは真似したらダメだ。私は皆さんとはまったく別のものを見ている。好奇心や探求心だけで行動すると、魂を砕かれるかもしれない。

 嫌と言うほど繰り返し書くが、幽霊・幽界に対峙する心構えは基本三つだ。

1)「怖れぬこと」 恐怖心は心に隙間を作るのでそこから入り込まれる。対処の仕方を間違えねば、あの世は怖ろしいものではない。

2)「敬意を示すこと」 死者に対しては、それがどのような存在であっても、きちんと敬うこと。

3)「弄ばぬこと」 2)とほとんど同じ意味だが、スリル感を味わったり、好奇心を満たしたりするための対象としないこと。

 なお、信仰は「他者をないがしろにする」ものでなければ、どれを信奉しても構わない。自身の信仰に従って、先祖を供養し、自身や身の回りの人の幸福を願うこと。

 

 これらを守らないことで何が起きるか。

 あの世への不敬が原因となり「事故や事件に遭ったり、不慮の死を遂げる」ということは殆どない(ゼロではない)。それだけなら、ごくフツーに想像がつく範囲だが、「祟り」の本番は「死後に起きる」と思った方がよい。幽界の闇に放り出された後に何が起きるかは、人の想像を超える。

 アモンやイリスはまだ生きた人間に近いほうだが、もはや人とはかけ離れた者もいる。

 

 これまで語られて来た宗教や霊能者のもたらす「あの世」観などは、ほとんど入り口だけだ。あの世(幽界)に「善と悪」みたいな関係は無く、単純に「自己保存欲求」で成り立っている。強いて言えば「総てが悪」に近い。