◎「森さんの真意は何」、からの
家人の勤務先で、今にして改めて森さんの話が出たらしい。
「あの人は言葉が軽くて、前にも浅田真央ちゃんのことを悪く言っていた」みたいなことだ。
え。それって「あの子は肝心な時に結果を出せない」みたいな発言のことなのか?
さすがにダンナは見過ごせなくなった。
「あれは身内に対する愛情を表現したものだ。例えば自分の孫に対して、もっと良い結果が出てくれたら嬉しいのにという気持ちを言っていたんだよ」
誰もが見た通り、真央ちゃんは努力に応じた結果が貰えたわけではない。スポーツだけでなく、人生の総ての時期、あらゆる生活のジャンルにおいてそういうことは起きる。
だから、「真央ちゃんに金メダルを取らせてあげたかった」という気持ちを表した言葉だ。
「だがメディアは些末な表現を利用して権力者を貶めようとする。それが仕事、あるいは使命だと勘違いしている者が本当に多い」
森さんみたいに、政治畑の人は、じっくり考えずとも内から言葉が出て来る話し上手が多い。緻密ではないが、さらさらと話が出来る。
こないだの件だって、その場で挨拶を求められたのに、40分以上、スピーチをした。
「そういう人の話は、全体を一行、あるいは三行で要約すると真意が分かる。だからまずは骨子を抜き出してから、もう一度内容を点検すると分かりよい」
「じゃあ、こないだのは?」
簡単だろ。
「あのババア(委員)は話が長すぎるから、短くしろよなってこと」
森さんが女性のことを一段低く見ていることは事実だが、「蔑視する」ほどではない。ごく普通のお年寄りが持つ感覚だ。
周りの者が、「あらあら、今はそんなことを言ってはダメなんですよ」と窘めれば、「そうか。では取り消します」と、その場で済ませられる。
日本の伝統は、やはり「和」だ。徒にことを荒立てることなく、穏便に済ます。
ま、森さんくらいになると、周りの者が忖度したり、遠慮したりするから、「裸の王様」になりがちではある。
それをわざわざ音源を持ってメディアに持ちこむ者がいる。
私はその方がよっぽど「気色悪い」と思う。
最初から「人を陥れる」気満々でレコーダーのスイッチを入れているからだ。
なお、「女性の委員割合を※※パーセントにする」みたいなことを制度化するのは本末転倒だと思う。それ以前の段階で、女性に声を掛けどんどん出て来て貰えばよいことだ。形式的な枠を定めることは意思疎通の十分でない者を引き入れることにもなりかねない。
これは森さんが言っていたことと同じ。
私はあの時のYさんの姿勢の方がよっぽど問題だと思う。
Yさんは、その会議の場で森さんに挨拶を頼んだ「何か」の会長で、元はスポーツ選手だ。
唐突に森さんにスピーチを頼んだ張本人でありながら、その後のコメントでは「女性差別はあってはならないこと」だと、事実上、森さんを断罪していた。
あそこは「森さんには女性蔑視の意図は無かったと思いますよ。急に挨拶を頼んだのにこんな事態となり、恐縮しております」と笑い飛ばせば、割合早く鎮静化したかもしれん。
結局、Yさんは「世間の風潮に迎合する事なかれ主義者」だということ。懐が狭く、ちょっと失望した。
メディアや野党はとかく話を大きくしたいから、ひたすら喚くわけだが、もはや「日本語があまり理解できないのではないか」と勘違いされるような域だ。
(ちなみに、これが遠回しの「蔑視(他国系だと匂わせる意図による)」だ。なお日本語は奥が深いということを示すために意図的に例示したものなので、念のため。)
森さんを擁護する気持ちなど毛頭ないが、いちいち言葉尻を捕らえてあら捜しをしたり、足を掬うような行為ばかりやっていると、もの事が遅々として進まなくなってしまう。
五輪は目の前で、開催が危ぶまれるような状況だ。
船が岬に衝突するかもしれぬ時に、船長の言葉尻を批判している場合ではないと思う。
あと、ついでだが、五輪の開催状況で一兆から五兆の欠損が出る。そういう時に、官僚の飯代を議論しているのは、本当にナンセンスだ。
議会を無駄な時間で塞ぐようなら、さっさと当該官僚全員を左遷するなり辞めさせるなりなりして、とっとと話を終わらせるべきだ。
国会自体、一日あたり三億掛かるのに、「十万の飯代を議論」していて何か新しいことが生まれるのか?
コロナ対策、五輪対策、と「コロナ以後の見通しを立てる」という重要な議題がある。
とりわけ、五輪処理が済んだ後の「国民生活の立て直し」を早く見通す必要がある。
最後にひと言。
「バカ政治家ども。選挙のことだけ見てるんじゃねえぞ!」と記して置く。