日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎五輪中止論者など、ここには一人もいない

◎五輪中止論者など、ここには一人もいない

 私は障害者だ。週の半分は病院で寝て暮らしている。

 医師からは、「もしコロナに感染すると、間違いなく死にます」と言われる。

 日頃、軽口を叩き合っている医師は、さらにこれにこう続ける。

 「連絡しても、保健所に連絡がつく前に亡くなってしまうので、家に居て下さい」(笑)

 

 周囲の患者も似たようなものだ。

 心臓のバイパス手術を受けていたり、心停止の経験があったり。

 「持病有り」とはこれくらいの者のことを言う。「高血圧で」「糖尿病で」程度の次元の話ではない。

 

 だが、そういう身の上でも、周囲に「五輪を中止すべき」という意見の者は一人もいない。

 五輪を開催すること、開催できることは、国として名誉なことだからだ。

 そもそも、開催を中止したところで、感染状況が改善できるわけではない。

 街に出れば分かる。

 駅前広場とか公園で、居酒屋に入れぬ若者たちが酒盛りをしている。

 この状況なら、五輪の開催など、ほとんど関係が無い。

 五輪開催期間中に、必ず感染者は増える。

 だが、それは五輪の開催如何とは別の話だ。

 

 もちろん、五輪を開催すれば、浮かれる者が増えるから、必ず感染者が増える。

 だが、それが何なの?

 メディアは「ワクチンを打った翌日に亡くなりました」という事例を大仰に報道するが、故人は九十台だった。それならワクチン以外にも死因が山ほどある。

 インフルエンザでもあり得るが、その場合にはニュースにならない。たまたまワクチン接種があった。これが引き金になったのかどうかは分からぬが、20歳台とは見方が違って当然だ。

 そもそも「副反応」のせいではなく「寿命」だろ。

 

 リスクがあるからと、そこから逃げ出す者のことを「負け犬」と呼ぶ。

 感染が怖ければ、家から出なければよい。

 五輪など、たった数週間の間の話だ。

 

 「国民皆で協力して、平和とスポーツの祭典を成功させるべき」

 そんな声が少ないことに違和感を覚える。

 感染=即死の障害者ですら、「開催すべき」と思っているのに。

 リスクの高い者ですら、五輪を開催し、世界に「希望の光」を灯すべきと思っているのに。

 

 繰り返すが、たった三週間かそこらの話だ。

 「万端繰り合わせて、五輪を成功させよう」と何故言えぬのか。

 腹を括り、行動を自粛すればよいだけのこと。

 

 今はメディアを中心に「死んだらどうする」の大合唱。

 本当に情けない。腹ひとつ括れぬのか。

 あるいは、ただ政府批判がしたいだけ?