日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎<三途の川便り> 再開のしるし(一年前の振り返り)

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令和二年八月十日撮影

◎再開のしるし(一年前の振り返り)

 半年一年経つと、過去の出来事を冷静・客観的に振り返ることが出来る。

 このため、一定の期間を経過したら、過去の出来事を振り返ることにしている。

 

 画像は昨年の八月のものだ。

 六月から梅雨明けまでは、「あの世」を身近に感じることがほとんど無いのだが、秋(旧暦)の到来と共に、徐々に始まるようになる。

 私の場合は、概ね、画像が妙に乱れることが最初の兆候だ。

 とりわけ、七月の下旬から八月には「右腕だけ膨れる」という現象が起きる。この画像ではさほど顕著ではないのだが、他の部分が普通なのに、右腕だけ息を吹き込んだように膨れている。これはまだ小さい方。

 

 中央の女性については、撮影当時に気付かなかったが、当人の左腕の他に別の小さな手が見えている。不鮮明だったから、それと気付かなかったわけだが、朧げな二本の腕と手が女性の首元に伸びている。子どもか女性の手だ。

 こういうパターンは「誰かに恨まれている」ことが多い。この手はその気配に乗じたもので、直接恨んでいる者のものではない。

 

 右側の男性は、被写体の中で「ガラス寄りに一番前にいる人」なのだが、この男性だけが顔が写っていない。私や中央の女性は、割と顔が鮮明で間隠しが必要なほどだが、それより前にいるこの男性の表情が分からない。

 男性はガラスの継ぎ目に立っており、ガラス映像が左右に分かれているのだが、ガラスの角度が違うから、左右に分かれて映る筈なのに、姿かたちがピッタリ一致する。

 私の見解では、右側の姿はこの男性本人ではないと思う。ひとに共感し、同化しようとする者(幽霊)は、極力その相手の姿に似せる。

 たぶん、「ペット愛」が仲を取り持っていると思う。

 時々、私自身についても同じようなこと(二重映りの片側が別人)が起きる。

 

 ここで苦言だが、神域に獣を引き入れるのは御法度だ。

 男性の顔や犬の姿が乱れているのは、「怒り」を表している。

 かつて、神社猫のトラは神殿下から上には絶対に上がらなかった。野良猫なのにきちんと作法を弁えていたのだ。内門が閉じている時には、一度だけ階段を上がったが、それも、私と初めて会い、内門の前まで先導した時一度だけだ。

 獣は可視域が人間と違うから、幽霊の所在に気付いたりする。幽霊の側もそのことを知っているので、尋常ならぬほど苛立つ。

 「生と死」の関りについて、理解しようと思わぬから、平気で犬を抱えて神域に立ち入るわけだが、結果的には悪縁を持ち帰ることになりかねない。

 「家の中に土足で立ち入る」振る舞いと同じで、悪気があろうがなかろうが関係なく、その家の住人は腹を立てる。線を踏み越えたらアウト。

 こういう場所では、動物はかなりのプレッシャーを感じるのが普通だが、この犬はその素振りが見えなかった。飼い主同様、かなりのボケナス犬ということだ。

 いくら神社で手を合わせても、幸運は来ない。犬は公園に連れて行け。

 

 追記)男性の画像の歪みを修正しようとしたが、どうしても顔だけ歪みが残る。

 1)二枚ガラスを接合・調整

 2)左側のガラス映像の歪みを調整

 を経ても、体の部分は合致するが、顔だけうまく合わない。

 左の袖の後ろに、もう一人分の袖がある。

 時々起きることだが、この男性は二人分、すなわち背後に一体(幽霊)を抱えている場合がある。もちろん、これだけでははっきりしない。

      

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