日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎常に幽霊が集まって来る

f:id:seiichiconan:20210226230331j:plain
f:id:seiichiconan:20210226230318j:plain
f:id:seiichiconan:20210226230307j:plain
f:id:seiichiconan:20210226230256j:plain
S県のとある温泉旅館で撮影

◎常に幽霊が集まって来る

 画像は今日の午後にSNS上に出たものだ。数年前に撮影したものだが、時々、「過去の出来事(記事)」が自動的に現れるようになっている。

 場所は温泉旅館の前で、いつも訪れるN湖の近くにある。

 当時はさほど注意してみなかったのだが、今はピタッと眼が留まる。

 画像の中に生じる異変に見慣れて来たからだろうと思う。

 

 「あの世」系の異変が起きている時には、こんなサインがある。

1)目視出来ぬ煙玉や煙(霧)が画像に写る。

2)光(の進行方向)が歪む。

 こういう場合には、画像のどこかに「眼(視線)」や「実際には存在しない人影」が写っていることが多くなる。

 もちろん、シャッターチャンスは0.3秒くらいの間だから、そこを外すと写らない。

 光の角度等については、これまで記して来たとおりだ。

 

 最も分かりやすい点を指摘する。

一枚目

 玄関の前に家人と息子の二人が立っている。撮影者は私で、周囲に他の人はいない。

 玄関のガラスには、カメラを持つ私と、家人、息子の後ろ姿の影が映っている。

二枚目(拡大図)

 ここで注目するのは家人の影だ。採光の加減からか、家人の姿は、その大半が消えている。ただ外郭は分かるし、息子との位置関係で影がどこにあるかも特定出来る。

 玄関はガラスの二重扉になっており、ガラスに映る人影も二重になっている。私などは分かりよい。

三枚目(さらに拡大)

 家人の影は中心部分が消えており、玄関の向かい側にある階段とそこに立つ人影が映っている。この階段は客室から直接、外風呂に向かうための階段だから、館内の様子が映ったわけではない。私の後ろの景色だ。

 その階段の一番下の段に足を掛け、男が立っている。男と特定するのは、背の高さとズボンを穿いていることによる。なお家人はスカートを着用しているから、家人が二重に映ったものではない。

 

 これは異常な事態だ。

 男は私の後ろ、また家人の向かい側にいるのだが、その男の姿が家人を通り過してガラスに映っていることになる。

 陰の部分からは、室内の様子を少しだけ窺うことが出来るが、人のいないカウンターが映っているから、中にいる人が画像に写ったわけではない。

 要するに、生身の人間(家人)の体を光が通過した、ということだ。

 物理的には「けしてあり得ない」事態となる。

 

 だが、「あの世」的には、時々起きる出来事のひとつになる。

 幽霊は生身の人間とは、対極的な存在で、両者が重なると、姿が消失することがある。

 ただ、通常は「幽霊が人の前にいた時に、人の姿の全体または一部が消えてしまう」ことが大半で、幽霊が人の後ろにいる時に、その人の前に現れるケース、すなわち配置が逆で同じことが起きるケースについてはあまり聞かない。

 

 ま、上で指摘したことだけでなく、私の周りでは光がかなり歪んでいるから(煙玉状)、実際に何らかの異変が生じていただろうと思われる。

 この時点で気付いたが、恐らくこれは二年前の撮影画像で、私がN湖でご供養を重ねている時期だろう。

 この当時は、帰路中途で写真を撮ると、私の周りに煙玉が沢山出た。

 数の多さや配置の奥行から見て、外の光を反射したものではないのは歴然だ。最後の画像はそもそも夕方撮影したもので、日光は入らない。

 

 常に焼香の道具を携帯し、「誰か」の視線を感じたら、必ずご供養をするようにしているから、相手方も付いて来やすいのかもしれぬ。

 いずれにせよ、幽霊の側から私は鮮明に見えるらしいので、こういうことはごく普通に起きる。

 ま、道に迷った亡者を拾い、先導するのは私の務めのひとつだろうと思う。

 

 もちろん、私や家族の身には何も起きない。

 「あの世」との付き合い方の原則を固守すれば、無用にちょっかいを出して来ることはない。

 なお、この地やこの旅館が原因で起きているものではないので、念のため(スポットではない)。

 こういうことは、私が「かつて心停止を経験して」おり、その後、「お迎えに会ったことがある」ことに関係していると思われる。