日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎「三年前の出来事」の考察(続き)

令和元年中の「あの世」画像

◎「三年前の出来事」の考察(続き)

 昨日の記事は画像が粗く分かりにくかった筈なので、少し補足する。

 多くの人が考え違いをしている点は、「幽霊は元々、人の眼に見えぬ存在」であるということだ。厳密には「生きた人の可視域では捉えにくい」と言う意味だが、光の波長域が可視域から少し外にズレている。

 このため、通常の状態であれば「見えない」のだが、1)カメラは人間の眼よりも捕捉域が広いので、まれに画像に写ることがある。また、光の波長が常に変動しているので、条件によっては見えるようになる。見えやすい光だけを拾うか、光そのものを選択すれば、幾らか見やすくなる。どうやら赤外線の光に反応するので、その増減によって見えぬものが見えるようになったりする。

 「ガラス面に反射する光」の中に幽霊を可視化する部分があるようで、目視では見えず、直接撮影でも写らないのに、ガラス面には映っていたりする。

 光の量と強度の調整を行って検証すれば、よりよく幽霊を捕捉できるようになると思う。

 「眼に見えぬからいない」わけではなく、「あちこちにいるが、眼に見えない」という事態となる。幽霊は何かの物質で出来ているのだが、現代科学はその基礎が何かをまだ掴んでいない。

 「空気は見えぬから、存在しない」というロジックが成り立たぬのと同じこと。それが物質そのものの違いなのか、物質の状態の違い(気体・液体など)なのかは、まだ分からない。

 

 前置きはここまでにすると、母子三人の画像のトーンを調整して、幾らか見やすくしたのが冒頭の画像だ。

 イ)参道での影は薄く、あまり母子に関わろうとしていないので、無視して良い範囲だと思う。「気のせい」という解釈でよい。きちんといたとしても、それは所謂「通行霊」で、母子とは無縁の存在だ。

 ロ)神殿前では、母子の周りにぶわぶわと煙が浮かび、人影らしき影が見える。

 その殆どが母子には関わりのない者だが、母親の後ろにいる「女」(眼が開いている)は、何事かを叫んでいる。母親が恨まれたり、妬まれたりしている場合がある。

 ハ)母親の前にいる「長い髪の女(少女?)」は割と鮮明で、髪の毛の束が見える程だ。何故出たのかはよく分からない。母子が幸福そうなのでつられたか。

 以上、何かしら影響があるかもしれぬのは、母親の右後ろの「叫ぶ女」と見られる。

 

 これは生きている者の「念」の場合があり、その場合は取り扱いに気を払う必要があるが、通常は何も起きない。幽霊なら主に心に影響を与えるので、「自身の置かれた状況を知り」、「同調しないように」「同化されぬように」心掛ければ、何も起きぬし、そのうち幽霊の方が自ら去って行く。

 これは夫が何かしらの原因を作っていない場合の話なので、念のため。

 

 参考までに、私自身に起きた事例を追加して置く。これまで繰り返し掲示して来たので、もはやお馴染みの画像だ。

 神殿の前でガラスに映る私自身を撮影したところ、私の背後に複数の人影が写っていた。この時に周囲には誰もおらず、生きている人間は私一人だった。

 左の「女」などは、半裸で私に絡みついているので、少し嫌な感じがしたのだが、その後、別段何も起きなかった。もちろん、私が自身の状況を知り「気を付けた」ことの効果かも知れぬ。

  要は「自分は誰かに妬まれたり恨まれているかもしれない」と考え、十分に行動を慎むことだ。「慌てず騒がず」「恐怖にかられぬように」自身の心境をコントロールする心構えがあれば、何ひとつ問題は生じない。

 人間の眼には見えぬだけで、この世には「あの世(この場合は幽界)」が重なって存在しており、幽霊は、常時、人間にくっついたり離れたりしている。背後に立たれることなど日常茶飯事で、誰でも同じ状態だが、多くの人がそれに気付いていない。

 

 参考図を掲示しながら気が付いたのだが、いずれも令和元年の画像で、撮影時点は二か月かそこらしか違いが無かった。この年には、所謂「心霊写真」の類が山ほど撮れたのだが、たまたまTPOが撮影に適していたのかもしれない。

 また、この世とあの世(幽界)を繋ぐ「穴」と、それに伴う「通り道」がここにあったことは確かだ。通常、これは半年から一年ほどで閉じてしまうようなので、その後、この地の「穴」も消失したのだろう。

 今では日光が神殿前に差さなくなったこともあり、あまり幽霊らしき姿が撮影出来なくなった。 

 

 備考)私の画像のように、「多情な女」に抱き付かれると何か起きるのか。

 これは西洋で言う「インスキュバス」と同じ性質の幽霊で、性的な関係を求める傾向がある。取り憑かれた側も影響を受け、様々な女性に目が移る一方で、とりわけこれが重要だが、複数の女性から関心を持たれるようになる。これは当人ではなく、背後の「女」が他の女性をそそのかす面があるので注意が必要だ。自分自身の心や感情は、総てが自分のものではなく、誰かの考えなのかもしれぬ。それを頭に置く必要がある。