日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎三年前のある日の出来事

◎三年前のある日の出来事

 同時進行的には、その時起きている事態を認識出来ないが、後になり初めて分かることがある。

 たまたまFBで三年前の画像が自動再生されたのだが、今になり詳細が分かった。

 画像は令和元年の八月十八日のものだ。

 

 いつものように神社に参拝に行くと、夏休みの直後なので参拝客はあまりいなかった。神殿前にいると、後ろから来た母子三人に追い越されたのだが、私はガラス戸の中の自分自身の姿を撮影しに来たので、失礼して背後から撮らせて貰った。

 日差しの強い日だったので、私は麦藁帽子を被っている。

 まずは一枚目。

 ファインダを覗いている時に視線を感じたので、すぐにその場で画像を開くと、背景の石柵の後ろに人影が立っていた。老女の顔の付近だ。

 「ああ、お袋だ」

 母はこの年の春に亡くなった。

 朧気なので、肉親でもはっきりと認識出来るかどうかという程度だが、私は母の最期の半年を殆ど傍で過ごしたから、表情や気配はすぐにそれと分かる。きっと兄もこれが母だと認識すると思う。

 亡くなる間際まで、母は子や孫のことを案じていたから、まだ私たちの周りに留まっていたのだろう。

 「俺たちは大丈夫だから、安心して先に進んでくれ。生きている者のことは当人が解決することだからね」

 まずはそう伝えた。

 続けてすぐ二枚目を撮影した。

 まだ三人連れが前に居たが、母子の周りに煙が出ている。この時にはそう思った程度で、私は自分自身のことに関心を持った。

 私は麦藁帽を被っていたのだが、ガラスの中の私は帽子をしていない。もちろん、脱いだわけではなく、ずっと被っていたのだが、帽子だけが消えていた。おまけに私の頭頂部がすっかり剥げている。最近、急激に薄くなっては来たが、三年前のこの時点ではハゲが目立つほどではなかった。今でもこれほどではないと思う。

 ま、この手のことはよくある。たぶん、何かが私に「気付いてくれ」と思って変えてしまうのではないかと思う。

 

 今回、改めて気付いたのは、母子三人の方だ。

 「煙が出ている」だけでなく、うっすらと人影のようなものが見えている。これはごく薄く、ぼんやりとしており、三年前には気付けなかった程度だ。

 だが、中には分かりよいのもいて、母親の前にいる「髪の長い少女」はこれが見える人が多いのではないかと思う。母親の前だから背景の草木とは無縁だし、髪の毛の筋迄見えている。

 これはどこから来たのか?

 

 ちょうどこの参道の左側には、この頃、いわゆる「通り道」のようなものが出来ていた。地上、180から200㌢くらいの高さで、参道を通り神殿の前で宙に上がるのだが、神社の裏にある「枝垂れ桜」の大木の上に「穴(接点)」に繋がっていた。

 過去形の標記をするのは、当時とTPOが変わり、裏山の木々の陰になってしまったので、神殿前の「通り道」の所在が分かりにくくなったためだ。たぶん、「穴」自体も消えたのではないかと思う。

 七年くらい前から、この境内で撮影を続けているが、石柵の付近では「空中に浮いている人影」が画像に残ることがあった。これは「通り道」が地上より一㍍以上、上にあったことによる。

 

 さて、母子の周囲の「煙とその中の薄らぼんやりとした人影」についてだが、概ねこの「通り道」に関係したものではないかと思う。この位置で撮影すると、私の右腕が異様に膨れて写るのは、これまで幾度も報告して来た。

 こういうのは、都会の中の「通行人」と同じで、互いに関わり合いのない存在だから、何も影響が無く無視して良い。

 だが、母親の周りには、あまり良くない気配があるようだ。

 ひとの周りに「数体程度の幽霊が寄り添っている」ことなど、別に驚くような状況ではなく、誰も皆同じような状況にある。ただ、見えぬし、たまにしか感じないだけ。

 この母親の場合は、如何に「通り道」の中にいるとはいえ、煙や人影の気配が多過ぎる。

 ここで「もしこの中の者ではなく、母親が連れて来た者が混じっているのなら、最初から後ろに居て、しかも嫌な気配を漂わせている筈だ」と気付いた。

 そこで、最初の画像で、母子三人が参道を歩く姿を捉えていたので、これを拡大してみた。

 すると、やはり母親はすぐ後ろに禍々しい気配を引き連れていた。

 とりわけ嫌なのは、日傘の下に隠れている大きな黒い影になる。

 なお、多くの人が目視出来そうなのは、右肩のすぐ後ろの人影だろうと思う。

 

 この先はあくまで推理と想像だ。私には特別な霊感はなく、普通の直感だけしか持たぬのだが、社会調査を二十年以上生業にしていたので、三四千人の面接調査を経験した。このため人事に関する統計的な推測がある程度効く。

 もちろん、絶対はなく、外れることもあるので、あくまで「勝手な想像」という範囲で可。

 母親はひと目を引くような美人で、良き夫、健康な子どもに恵まれている。

 夫も有能なうえに子煩悩な父親だろう。

 だが、夫には愛人がいると思う。母親だけをガン見する視線に憎しみや妬みの色があるのはそういうことだ。

 母親本人が気付き、蛇(邪)念を交わす術を身に着けた方が無難な状況だが、神職を頼み特別なお祓いをする必要はない。放置すると体調を崩したりするから、まずは自身の状況について認識することが大切だ。あとは慌てず騒がず冷静に対処して行くこと。

 母子だけで神社に来たのは、何となく母親にも感じるものがあったからだと思う。

 

追記)参道で靄のような人影が手を興味を示しいているのは息子の方だった。男児の顔のところに煙(手か)が伸びている。