◎参道の真ん中を通ってはならない理由 (その2)がんじがらめ
水曜は午前十時に床屋に向かった。開店と同時に入り、最初の客になれば、「感染リスクが最も低い」と考えたからだ。
ところが店の前には、既に七八人の客が並んでいた。
なるほど、皆が同じことを考えるわけだ。
そこで、散髪をスルーして買い物をすることにした。
買い物はあっさり終わったが、まだ正午にもなっていない。
「せっかく外出したし、神社はすぐ近くだ。前回の続きを確かめよう。それに、あの『大きな女』の幽霊の正体を確かめる必要もあるわけだし」
車にはカメラも赤外線ライトも積んである。
まず、概況を先に書く。
赤外線カメラを使用すると、「説明のし難い画像」の数が三倍くらいに増える。逐一、言及して行くと、四五時間も掛かるので、分かりよいものだけ掲示することにした。
最初の画像は、駐車場から鳥居を潜り、内門から神殿の前に立ち入ったところだ。
前回と同じように、中央付近に立ち、正面から神殿のガラス戸を撮影した。
前では八人前後が順番を待っている。
幽霊が写りやすいのは、この「最初の一枚目」だ。このため、立ち位置を確認し、前後の人の数や撮影環境について、きちんと調べて置く必要がある。
画像の中に青い部分が少しだけ見えるが、これが赤外線ライトが当たったところだ。
十五㍍先では光が拡散してしまうのがよく分かる。
さて、これまで私は五年半に渡り、五百六十回くらい参拝し、八千枚程度を撮影している。このため、どこでどう構えれば、どのように写るかを熟知している。
その経験から言うと、最初の一枚目で、既に「かなり来ている」というザワザワ感があった。これは複数の視線を感じると言い替えてもよい。
次に中央部分を拡大し、私のいる辺りを詳細に見ると、一見して何ら異常が無いように見える。カメラから眼を離し、斜めに構えて撮影したようだ。
だが、違和感が消えぬので、さらに拡大した。カメラの位置、ライトの位置、マスクの位置と固定して行くと、私の顔があるべきところには何もない。
左側に髪の毛の薄い男の頭があるが、これは私ではない。何故なら、私は弱視のため、いつもサングラスをしているが、この男は裸眼だ。
手の位置なども、どうにも不自然なので、ガラス戸の合わせ目を加工(消去)し、左右が合うように調整してみた。
ここで、カメラ、ライト、マスクという「物」の位置を基準として、人影(または人のパーツ)を固定して行くと、手や腕が二人分余計についていることが見て取れる。
「男A」は頭が薄く、私の背後から首を回るように右腕を伸ばし、私の左腕を掴んでいるようだ。事実上、「羽交い絞め」の状態だ。
かたや「男B」は体が斜めになっているが、私の胴体に右腕を巻き付かせている。
「男C」は顔だけだが、特に問題は無い。
以上のうち、最も分かりよいのが「男A」だが、これは赤外線ライトを真後ろに向けて照射していたためだろう。
ちなみに、私の頭(顔)が消えているのは、周囲を幽霊が取り囲み、私と重なっているからだ。幽霊と生きた人はプラスマイナスの関係にあり、これが重なると、ひとの体の全部または一部が画像から消失してしまう。
以下はあくまで推測だ。
・駐車場から内鳥居の周辺では、年中、煙玉が写る。数も沢山だ。
煙玉に加え、幽霊も沢山集まっているとみられる。
・境内には参道から神殿に向かう、「通り道」があるのだが、これは幽霊の側からも見え難いのではないか。幽霊には知覚が無い。
・私は常に煙玉を発しているが、鳥居周辺の幽霊がそれに気付き、私について来る。
かつて神社猫のトラも、五十㍍くらい先にいる私を見付け、一直線に走り寄って来たものだ。
・神殿前に来ると、さらに「通り道」が勢いを増すから、大半の幽霊は私から離れる。
このため、拝礼を終わり、帰路に就く頃には、ほとんど何も写らなくなる。
こう考えると、自分なりに納得が出来る。
・過去、「亡者を先導する夢」を数え切れぬほど観ているが、事実上、これは「迷っている魂(幽霊)」の道案内をするのと、実質的に同じことだ。夢でも現実でも同じことをいしている。
・様々な幽霊や魔物から、嫌というほど抱き付かれているが、そのことが原因で、身の回りに異変が起きたことが無い。悪影響が無く、むしろ状況が改善される。
要するに、「(先方を)手助けしている」ということではないのか。
さて、ゆっくりながら、少しずつ前進していると思う。
まずは私が生きているうちに確実な情報を得て、「よりよい死に方」を伝えようと思う。もちろん、「伝えるべき人に伝える」ということだ。
ちなみに、皆さんは同じことを試したらダメだ。
私は既に慣れているので、何が出ても驚かず、大半を分離することが出来るのだが、皆さんは違う。
好奇心で行動すると、同じように幽霊が関わろうとするのだが、そのまま降りずについて来る。結果的に、幽霊による同化・合体の対象になってしまう場合がある。
「負のスパイラル」はこんな具合に展開する。
「好奇心で近づく」→「幽霊に寄り付かれる」→「恐怖心を覚える」→「幽霊が異変を起こす」→「念の力(祈祷)で幽霊を退けようとする」→「幽霊が怒り、祟りをなす」・・・。
これが、最も不味いパターンで、多くは祈祷師を頼み、除霊・浄霊を試みることになる。
他力を頼むと、一時は消えても、またぞろ幽霊が戻って来て、再び寄り付く。
この辺は詐欺師と同じで、「カモ」だとなれば何度でも寄って来る。それとまったく同じ。
よって、自分自身で立ち向かわぬ限り、「エンドレスに続く」と考えた方が良い。
もうひとつ忘れてはならないのは、「幽霊の怒りは、例えその人が死んだ後でも終わらない」ことだ。いざ始まったら、その人の生死に関わりなく延々と続く。
だが、最初に「好奇心で踏み込む」ことをしなければ、何事も起きない。
不良と同じで、間に線を引き、「ここから先には入って来ないこと」「こちらは立ち入らないこと」を申し合わせる必要がある。
他にも何枚か画像があるので、タイミングと内容がうまく合った時に掲示する。
追記)呑気に遂行して書く時間が無いので、常に書き殴りの状態だ。
よって、誤変換や誤記が多々あるとお断りして置く。。