日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎扉が開く(545)

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令和二年十一月二十四日撮影

◎扉が開く(545)

 問題が発生したら、迅速に処理しないと、思わぬ大事に発展するのが、「あの世」に関連する異変だ。 

 このため、昨日に引き続き、この日も神社に参拝することにした。

 昨日は新嘗祭で参拝客が沢山来ていたが、今日は平日と言うこともあり、人の姿は疎ら。

 多くが七五三で、社務所から拝殿口に向かうから、参道から神殿前まではほとんど人がいない。

 

 駐車場で車から出ると、すぐに赤外線カメラの動作を確認した。すると、どうやら撮影が出来るようになっていた。きちんとイチョウの樹が保存される。

 「今日はOKなのか」

 お許しが出たのかどうかは分からぬが、とりあえず撮影は出来そう。

 

 ひとまず鳥居の前で撮影。周囲に人はいない。

 神殿の近くまで行くと、前に数人の参拝客がいたが、私が階段を上がった時には、参拝を終えていた。後は社務所の方に二人くらいがいるだけ。

 そこで、誰もいない神殿の前で数枚ほど撮影し、境内を下がることにした。

 

 駐車場で画像を開いてみると、最初の鳥居の前から、何だか複数の人影が見える。

 顔だけのものも含めると、とりあえず十幾つか。

 ファインダ画像を拡大すると、かなり鮮明だ。

 「なるほど。あちこちから視線を感じるのも当たり前だな」

 ある意味納得した。

 「俺の第六感は、ただの想像や妄想なだけではなく、幾らか現実に繋がった想像や妄想だったわけだ」

 ま、当然だとは思う。

 

 この日はちょっと理解不能なことが幾つか起きている。

 「あの世」に関わる出来事には、かなり慣れて来た私だが、「マジかよ」と思う。

 ま、端的に言えば、「こんなに沢山なのか」ということだ。

 繰り返すが、この日は、神殿の前にいる数人を見ただけで、周囲に人はほとんどいなかったのだ。

 赤外線撮影をすると、通常カメラの時よりも鮮明に写るので、画像ではそれが生きた人なのか、実際にはいない人なのかの区別が難しくなったりする。

 この日は病院帰りだったので、重いカメラを持たなかったのだが、やはり両方で撮影する必要があるようだ。

 

 解せぬのは、画像の撮影時刻だ。

 日付や時刻が違うのは、まあ、機械だけに「ズレが生じた」という言い訳が出来るが、「時刻が前に遡っている」というのは解せない。ちなみに、この時は病院を出てすぐに向かったので、午後二時半くらいだった。

 もちろん、画像の順番を取り違えたわけではないので、念のため。この間にも複数枚撮影している。

 最後の画像では、私を除き五六人の人影が見える人が多いと思うが、現実には私一人だった。

 左の老人はあまりにも鮮明なので、「見逃していたかも」と自分を疑うほどだ。

 この人だけは現実に居たのではないのか?

 でも後ろの二人連れは、間違いなく存在しない人たちだ。

 ちなみに、殆どの人が目視出来ないと思うが、私の周囲にはがっさり集まっていると思う。やはりあちら側からよく見えるわけだ。

 これだけザラザラいたら、磁気異常等の異変が起きるのも当たり前だ。

 なるほど。この数日はこれよりも凄かったということだ。

 

 ところで、昨日の冒頭の画像の「背の高い妖怪顔の女」は、昨年、「スペードの女王」と仮称していた相手だ。昨年は「気配」だけで目視が難しかったから、存在を疑う人が多かったと思うが、今は姿を現して来たようだ。

 コイツが一番凶悪だ。人間社会に悪い影響が起きなければよいが。

 つくづく、「あの世」は人間の「せせこましい知識」がぶっとぶような底知れぬ世界だと痛感する。

 明日も幾つか確かめに行くことになりそうだ。

 

 俄には信じられぬ事態だが、その場でデジカメ画像を開いた時には、もっと沢山かつ鮮明に写っていた。やはり撮影直後が最も鮮明らしい。

 最後の画像なども人影がクリアなので、普通の写真かと思ってしまいそう。

 だが、背景(草)が透けていたり、継ぎ目でもないのに腕が膨れていたりする。

 当事者だから余計に驚かされるのは、あの時、神殿前には私一人しかいなかったことだ。

 霊現象は電磁波や放射線の波が立つから、これほどならライトやカメラがフリーズするのも当たり前だと思う。

 「見え過ぎると逆に困惑する」という事例だった。

 

 追記)結局は「地獄の亡者が外に這い出て来ている」(あくまで例えだ)状態だということだ。こういう時は、幽霊がひとの心情に同期して、心の波を何倍にも増幅させる。だから、すぐにかっとなり暴力を振るったりする人が増える。

 一日前の「男に取り憑く女の幽霊」のように、幽霊にがっちり抱きつかれると、いずれは同化して・されてしまう。

 まずは「自身の心を充分に振り返る」こと、すなわち「常に自省する」ことが必要になる。「今の気持ちは果たして自分のものなのか」と問い質すことだ。

 

 いずれ程なく幽霊が人間の間に溢れる。

 ここまで極端な進み方をするとは、私も思ってはいなかった。

 しかし、本番はこれからだ。