日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎徐々に最高潮に(619)

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令和三年二十一日撮影

◎徐々に最高潮に(619)

 所用で外出したが、途中で神社の前を通ったので、やはり立ち寄ることにした。

 二日続けての参拝だ。

 

 昨日の参拝で、私は七割がた「アモンの仲間」になることになった。

 例えて言えば「暗黒面」だが、キリスト教的な二元論に基づく「悪魔」の側ではない。

 「愛と平和」を騙る側ではなく「正義と応報」の原則に従うだけ。

 アモンの仲間は、見た目ものすごく怖ろしい姿をしているが、体裁を整えぬだけだ。

要は「素顔を晒す」ということで、ひとの心根は一様に醜いから、怖ろしい姿になる。

 反対側の者はそれとは真逆だ。

 例えば、どこかの国では、簡単に顔を整形し、外見を変えてしまうが、心のうちは醜いままだ。

 みてくれの良し悪しなど、虚栄心を幾らか満たす違いしか生まない。

 

 ということで、今後は「こんなことを祈願した」みたいな話はしないことになった。

 ただ、欺瞞を抱えた者に対し、「仲間」を送るだけのこと。

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 神殿前では、さすが「今が最もあの世が活発な時期」であることを痛感した。

 写真を撮影する以前に、ガラス窓に余分な人影が見えている。

 目視で見える時には画像にはさほど残らないものだが、どうやらこの日はそのケースのよう。

 画像をチェックすると、やはりあまり鮮明ではなかった。

 しかし、「これはおかしい」と思われる箇所があるから、ウェブ画像でも見える人は見える。

 

 ま、細かい説明はしない。

 多くの人にとって、今日の異変は「存在していない」。

 「聞く耳の無い森の中では、樹木の倒れる音は響かない」。

 

 この日は参拝客のうち二人の女性が、生まれつき幽霊と関わりやすい性質の人だった。

 背後には、複数の幽霊がまとわりついている。

 多かれ少なかれ、人の後ろには幽霊がつくのだが、これほどはっきり見えるものは少ない。

 それに、あまり宜しくない者のよう。

 二人目の女性は右腕を掴まれていて、その腕のかたちが歪んでいる。

 後ろの幽霊が、この女性の人生に「干渉しよう」という意思がアリアリリだ。

 男に見えるが、女にも見える。複数が合体した幽霊だ。

 自分で気付き、区分除去することを心掛ければ、問題は消える。だが、気付かぬまま、感情を操られると、彼氏(夫)や親族、友人知人が遠ざかって行く。仕事上などの人間関係も壊れる。良かれと思ってしたことが、反対の意味に受け取られる。

 要は「自分本来の心」を見失わぬようにすることだ。

 お祓いや祈祷など必要がない。他力を頼る心に隙が生まれる。

 

 興味深いのは、お互いに関係のないその二人の「姿かたちが似ている」ということだ。

 この場合の「姿かたち」とは、体型や服の着方(すなわち嗜好)という意味になる。

 何かしら共通点があるものなのか。

 いずれにせよ、私と同じ状況にあるから、いずれ対処法を学ぶべき時が来ると思う。

 若いうちは、まだそういうこと(あの世対処)に気付かぬし、また切実なものでも無い。

 生命力が少しずつ衰え始めた頃に、自分自身と周囲の関りに違和感を覚え始める。

 

 こういう人は、何時でも助けてあげられると思う。

 私は人間全般が嫌いで、他人となるべく付き合わぬように暮らしているが、同じ性質の人であれば話は別だ。

 アモンは「己を救うのは己しかいないのだから、独りで立ち向かえ」と説く。だが、そのためにはちょっとした心構えが要る。

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 さて、これからひと月が一年でもっとも幽霊が姿を現わす時期になる。

 ガラスの継ぎ目で異変が起こりやすいのは、「二枚のガラスが同時に光を歪めている」ことによる。

 とりあえず、一枚ガラスで良いので、午後二時から四時の間に、自身の姿を映して見ると良い。

 あるいは、人の流れのある場所で、自身を撮影すればよいのだが、他の人に迷惑が掛かったり、自撮りでは近すぎるという難点がある。

 私が最初に「その場にいる者より人影が多い」ことに気付いたのは、たまたま偶然だった。

 もしくはこの日の女性たちのように、あの世的に敏感な人がいれば、そこには無い筈の光や煙が写ることもある。これは人影と同じことだが、かたちが見えない者の方が注意すべき相手だ。。