日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎男を探す(567)

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令和三年二月二十四日撮影

◎男を探す(567)

 日曜に「男」を取り込んだと思うので、外出した折に道を迂回して、神社に参拝した。相手の正体がまったく見えなくては、少し気色悪いからだ。

 既に二月下旬で、神殿前への参拝客は五分にひと組程度に落ちている。

 駐車場に車が割合は言っていたが、その客の大半が祈祷を受けに来た人たちらしい。

 

 自身の状態を確かめることが重要なので、撮影後、すぐに画像を開いて見た。

 私の背後に影が見えるが、はっきりとはしていない。

 三枚目では、物の影としては不自然だし、「女」のシルエットのように見える。

 だが、これはいつものこと。目の錯覚でも、「女」でもどちらでも影響は無い。

 純然たる「気のせい」なら、なお結構。

 「あの世」に関わるのは、好奇心からでも探求心からでもなく、「何も分からずに死んで、為す術もなく彷徨う」事態にならぬためだ。死はもはや目前にある。

 

 画像の中で、自然に目が留まったのは、途中から現れた帽子の男性だ。

 階段を上がって来たようだが、最後のステップで足を止め、じっとしている。

 一分弱だから、それほど長い時間ではないのだが、立ち止まっている位置が不自然だ。

 前にも後ろにも人がいないのに、何故止まっているのか。

 私は逆側の内門の下付近にいるので、「撮影の邪魔にならぬように止まっていてくれた」ということではないと思う。

 なお、帽子を被っていた男性のことは、まったく記憶にない。

 この感じの帽子を被る人は、男性にはそれほどいないから、もしいれば記憶に残る。

 

 一二枚目の戻ると、右側にも丸印を付けてある。

 まったく何の形跡も残っていないのだが、画像に「ここから見ていたとのこと」というメモを残してある。

 これはつい先ほどの出来事による。

 午前二時頃に居間で仮眠を取っていたのだが、夢の途中で唐突に「女」が顔を出し、「わたしはここにいた」と言った。門柱の陰から顔半分くらいを出しているのだが、「門柱」だから、この神社と言うことだ。

 画像では薄い影だけで、顔かたちが見えぬが、これは幸いだった。

 私の夢を掻き乱した「女」は、正確には「もとは女だった悪縁」で、背筋の寒くなるような醜悪な表情をしていた。

 こういう悪縁は神殿の前には来ない。この場の持つ圧力に押されるためで、それが平気になるには、もっと沢山の幽霊を取り込む必要がある(悪縁にとっては)。

 この「女」は、私が自分のことを見分けられるのを承知しているのに、こちらを特に敵視したりはしない模様だ。

 常々、私が「どういう悪縁であってもご供養をしよう」と思っているからなのかもしれぬが、実際のところは分からない。

 なお、この日は赤外線ライトを点けたまま、外鳥居から境内に入ったが、これはあまり良いことではない。赤外線は先方から見えるし、鳥居の周りには幽霊が集まる。

 好奇心からこういうことをするのは避けた方が良さそうだ。

 

 と書いて来て、ここで気付いたのは、あの帽子の男性のことだ。

あれが生身の人間なのか、あるいは幽霊なのかはまだよく分からないが、「悪縁が神殿に上がって来られずに立ち止まっている」というケースも無いわけではない。

 イリス三姉妹級の「コテコテの悪縁」になってしまえば、もはやどうにもならないのだが、足が止まる状態であれば、きちんとご供養すれば、いずれ穏やかに変じると思う。

 

 目的の「男」については、まだ見付からない。

 知人からこの「男」を引き離すのには成功したと思うが、今度は私自身から剥がす必要がある。

 以上は、他の人にとっては、「私一人が思い込んだ想像や妄想」の世界になる。

 だが、私には総てが現実として降り注ぐ。

 相手を甘く見た時に何が起きるかも承知している。

 もちろん、この日の分は「気のせい」で済む範囲だと思う。となると、逆に「まだ宿題が残っている」ということになる。

 

 追記)一枚目二枚目の私の姿を比べると、二枚目で「右腕が左腕の1.5倍に膨れた」ことが分かる。画像(光)を歪めるのが、幽霊が現れた時のサインのひとつだが、「女」が実際にいたことを示すものだと思う。