日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎ご供養(542)

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令和二年十一月十七日撮影

◎ご供養(542)

 先日、車の後部座席で女子の姿を見たことや、家人がノックの音を聞いたことなどもあり、ご供養に出掛けることにした。

 この日は通院日で、いつもは帰宅した後も横になっているのだが、少し無理をして外出した。

 

 聖天院でお焼香をしようとしたのだが、生憎、門が閉まっていた。境内の樹木の枝を払う由が記してあった。

 お線香を焚き、ゆっくりと語り掛けることで、次第に気配が穏やかになるのだが、ま、本来、場所はどこでも構わない。お寺に出向くのは、主にこちら側の心情による。

 

 そこから神社に回り、祈願をすることにした。

 この日は、ふと思い付いて、機器一式を持参していた。

 通常のデジカメに加え、赤外線カメラや赤外線ライトなどだ。一年くらい前には、あちこちで赤外線撮影をしていたが、あまり気分が良くないものが撮れたりするので止めていた。病院での検査と同じで、こと細かに調べ過ぎると、気になって仕方がなくなる。

 「たまに、必要に応じて」くらいで行うのが丁度よい。

 

 ひとつの発想は、「もし相手側が赤外線を検知できるのなら、最初からそれを点けていれば、それを目指して寄って来るのではないか」ということだ。

 すなわち、鳥居を潜る前からライトを点け、周囲に見せるように進めば、ぞろぞろ寄り付く。

 幽霊が寄り付く絵面を想像すると、かなり気色悪いのだが、私の場合、そんなのは「いつものこと」なので気にならない。どうやれば去って行くかも知っている。

 

 鳥居付近でライトを点けたのだが、しかし、すぐに点かなくなった。

 赤外線は、本来、人間の目では見えないのだが、私は少し可視波長域が広いので、点いているかいないかの違いは分かる。ま、点いていれば、数分もすれば、ライトが熱を持って来る。熱が無いなら点いていない。

 念のため、赤外線カメラを確かめると、こちらはメモリーカードが破損していた。

 何らかの磁気異常があったらしい。

 いつも使うデジカメの方は、いつも間にアルミホイルを入れているためか、こちらには影響が無かった。

 

 神殿前では、行き場の無いあの女子が安息を得られることと、自身が「暗黒面に落ちない」ことを願った。次第に色んなことが出来るようになっているので、いざそれを悪縁サイドで示そうとしたら、きっと自他とも酷いことになる。

 何せ、悪霊が常に近くで見ている。

アモンを見せたが他にも酷いのがいる。こいつらがいざ出動すると、もはや止められない。

 

 数枚ほど撮影して帰ろうとしたが、階段を下りた辺りで、デジカメのカードを「赤外線カメラに移せばよい」と気付き、また戻って二枚だけ撮影した。

 駐車場で開いてみたが、あちこちに鮮明に「顔」が写っている。それもひとつ二つではない数だ。ゲゲ。気色悪い。

 「なるほど。今は活発に動いているのだな。それで機械がおかしくなった。当面は水晶を隣に置く必要がありそうだ」と思った。

 

 帰宅すると、体が持たなくなり、夕食の支度をしてすぐに横になったが、目が覚めると、もはや午前三時になっていた。

 改めて画像を開くと、ふんだんに出ていた「顔」がほとんど消失していた。

 これもよくある。ただ、時間の経過と共に少しずつ変化するのが「あの世」画像なのだが、半日で消失するのは異例だ。

 で、ここで「赤外線関係の機器だけが停止した」ことを思い出した。

 何となく、「写真に写りたくなかった」のだなと思うが、実際のところは分からない。

 

 あの後部座席の女子は少し離れたところから見ていたようだ。

 これは目視確認が難しいので解説をしないが、殆どの人は見えないと思う。

 存在が確認できないものは「存在しない」と同じことなので、要するに私個人の「想像や妄想」と同じ意味になる。

 だが、当事者が分かればそれでよい。

 あの女子が私の言い付けを守り、影響の生じないところに立っているところを見ると、今後は扉を叩いたり、物を落としたりすることは無くなる。

 ちなみに、「物を落としたり」は一昨日の深夜に起きたことだ。テーブルの中央に置いたスプレー缶が床に「どしん」と落ちた。(息子が一部始終を見ており、かなり退いていた。)

 こういうのは「見て欲しい」「聞いて欲しい」ということだから、「きちんと見ている」ことが分かれば起きなくなる。

 驚き怖れ、忌み嫌うと、それが相手に伝わり苛立たせる。

 こちらが穏やかに接すれば、相手側も過剰な反応はしない。

 

 もちろん、後段以降は総てが「想像と妄想」の範疇にある。すなわち、第六感の域。

 それでも、画像から顔が消えていてつくづく良かったと思う。

 従前はすぐに消したが、今の私の心境なら、きっとそのまま公開した。

 これを見れば一発で「あの世」の存在を疑わなくなると思うが、人によっては私と同じことが始まると思う。

 本当に怖ろしいのは幽霊や怨霊みたいなものではなく、彼らの周囲にある「無限の闇」だ。そこには何もない。全きの虚無だ。  

 

 あの女子は暫くの間、付かず離れずにいると思う。また、画像の中に開く「眼」が増えるということだ。