日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎気を許してはダメ(466)

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12月16日撮影

◎気を許してはダメ(466)

 例年、11月から3月の間が、最も「幽霊が出易い」季節になる。

 「怪談は夏」が通り相場なのだが、実際には冬の方が異変が生じやすい。

 おそらく、空気が乾燥することに関係しているのだろうと思う。

 しかし、この時期は日光の量が少なくなるから、「目視」という点では、かなりの困難がある。

 赤外線ライト程度の光量では、日光の不足分を補うに「到底足りない」ので、画像にはほとんど残らない。私は何百回も、まったく同じ場所で、様々な光を見ているから、自然な陰影か、そうでないかは分るが、他者にはうまく伝えられない。

 結局は、私自身の「気のせい」や「想像や妄想」の域を出ない話になる。

 

 「今は異変を検知し難い」という前提があるので、この日は少し無防備に境内に入った。

 トラが去り、仲間がいなくなったこともあり、今年はいっそうの寂しさを覚える。

 「もっと大切にしてやればよかったよな」

 そんなことを考えつつ参拝した。

 神殿では「これまでどうも有難うございます。思えば、4年半前には、こうやって今も立って歩いていることなど、考えすら及びませんでした」と謝辞を述べた。

 赤外線ライトを点けっぱなしで、帰路も数枚撮影しながら境内を出たが、少ししくじった模様だ。

 「見えない」のは「いない」のとは違う。

 ここは優れた霊域なので、生きているひとも、肉体を持たぬ魂も集まって来る。

 敬意だけでなく、畏れることも必要だ。

 この数日でどこかで拾って来た女性(の幽霊)を送り届けることは出来たようだが、その代わり、帰路にはひとり別の女性を連れ帰ってしまった模様。

 これはライトを点けたまま、「通り道を塞ぐように歩いた」からだと思う。

 薄暗いところで赤外線ライトを使うと、相手の側からもこちらが見易くなる。

 ひとりが確実について来て、今は家の中にいる。

 早いうちにもう一度参拝する必要がありそうだ。

 ま、「黒いひと」が立ってくれていたようだから、滅多なことは起きないとは思う。

 

 なお画像の中に姿が見える人はごく少数だと思う。

 知見を共有するにはほど遠い。結局は「妄想」の域を一歩も出ない話になる。

 これでは自称「霊能者」と変わりない。 

 

 「黒いひと」は相変わらず謎のままだ。どういう存在なのかがまったく分らない。

 ただ後ろに立ち私を見守っている。何をするわけでもなく、ただ立っているのだ。

 これがいると、何となく「心強い」から、害を為す存在ではないことは確か。何十年も前から、時々、傍に立っていたようで、かなり前から画像に姿を確認出来る。