◎気を許してはダメ(466)
例年、11月から3月の間が、最も「幽霊が出易い」季節になる。
「怪談は夏」が通り相場なのだが、実際には冬の方が異変が生じやすい。
おそらく、空気が乾燥することに関係しているのだろうと思う。
しかし、この時期は日光の量が少なくなるから、「目視」という点では、かなりの困難がある。
赤外線ライト程度の光量では、日光の不足分を補うに「到底足りない」ので、画像にはほとんど残らない。私は何百回も、まったく同じ場所で、様々な光を見ているから、自然な陰影か、そうでないかは分るが、他者にはうまく伝えられない。
結局は、私自身の「気のせい」や「想像や妄想」の域を出ない話になる。
「今は異変を検知し難い」という前提があるので、この日は少し無防備に境内に入った。
トラが去り、仲間がいなくなったこともあり、今年はいっそうの寂しさを覚える。
「もっと大切にしてやればよかったよな」
そんなことを考えつつ参拝した。
神殿では「これまでどうも有難うございます。思えば、4年半前には、こうやって今も立って歩いていることなど、考えすら及びませんでした」と謝辞を述べた。
赤外線ライトを点けっぱなしで、帰路も数枚撮影しながら境内を出たが、少ししくじった模様だ。
「見えない」のは「いない」のとは違う。
ここは優れた霊域なので、生きているひとも、肉体を持たぬ魂も集まって来る。
敬意だけでなく、畏れることも必要だ。
この数日でどこかで拾って来た女性(の幽霊)を送り届けることは出来たようだが、その代わり、帰路にはひとり別の女性を連れ帰ってしまった模様。
これはライトを点けたまま、「通り道を塞ぐように歩いた」からだと思う。
薄暗いところで赤外線ライトを使うと、相手の側からもこちらが見易くなる。
ひとりが確実について来て、今は家の中にいる。
早いうちにもう一度参拝する必要がありそうだ。
ま、「黒いひと」が立ってくれていたようだから、滅多なことは起きないとは思う。
なお画像の中に姿が見える人はごく少数だと思う。
知見を共有するにはほど遠い。結局は「妄想」の域を一歩も出ない話になる。
これでは自称「霊能者」と変わりない。
「黒いひと」は相変わらず謎のままだ。どういう存在なのかがまったく分らない。
ただ後ろに立ち私を見守っている。何をするわけでもなく、ただ立っているのだ。
これがいると、何となく「心強い」から、害を為す存在ではないことは確か。何十年も前から、時々、傍に立っていたようで、かなり前から画像に姿を確認出来る。