日刊早坂ノボル新聞

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◎幽霊の対処の仕方 (二月三日の再検討)

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令和三年二月三日撮影

◎幽霊の対処の仕方 (二月三日の再検討)

 二日前の画像について再検討を試みる。

 自分の顔の左側から、別人(幽霊だが)の手が出ているのは、さすがにあまり気色の良い絵面ではない。画面に見えている手や腕は4本で、うち当方の手は当然2本しかないわけで、他は別人。

 私のような体の状態になると、「現実」と「妄想」、「単なる気のせい」が入り混じった状態になるのだが、それが「気のせい」ならまったく問題は無い。

 「妄想」がもたらす幽霊は「現実」と変わりないリアル感があるが、他人から見れば「変人」に見えるだけで悪影響は無い。

 ここは薬物中毒者の妄想とは違う。

 

 困ったことに、時々、「紛れもない現実」が混じる。これは生活に影響が出るだけでは済まず、生命の危機に瀕することがある。本人だけならまだしも、他者(妻や夫、子ども)に危害が及ぶことがあるから、警戒が必要だ。

 ある程度、「これが現実であったらどう対処すべきか」を念頭に置く必要がある。

 

 何気ない日常の景色の中で「誰かが自分を見ている」と感じた時には、「現実に見られている」。

 それをようやく「事実として証拠を出して見せられる」ようになってきた。

 程なく「大きな女」や「アモン」らの正体が明らかになると思う。要するに「自由にあの世を観察できる」という状態になるということだ。

 

  以上が観察の前提となる要件だ。

 さて、二日前の画像のトーンを替え、少し明るくしてみる。

 私の左肩の上にハゲ頭の男の顔が写っていたように見えたのだが、これは手指のようにも見える。また、一本だけではなく、手の上にもうひとつの手指が重なっているようだ。

 また、私の顔の左側から出ている手の方は、やはり私の左手首を掴んでいる。

 これは赤外線ライトを持つ手の方で、何となく「撮影するな」という意志を感じる。

 あるいは、赤外線は幽霊の側からも幾らか感じ取れるので、このライトを目指して集まって来たのかもしれぬ。

 いずれにせよ、私には影響がないものだが、これも縁の一端だろうから、ご供養を施すことにした。

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令和三年二月三日撮影

 さて、少しテーマが変わるが、幽霊がどう見えるかについて、今回、分かりよい素材が出来たので、それを掲示する。

 幽霊は通常、「プレデター(映画に出て来る宇宙人)のように透明だ」が、光を歪めることでそこにいると分かる。

 私が時々、人影らしきものがまったく目視出来ないのに、「ここに人影がある」と指摘するので、疑問い思っていた人が多数いたと思うが、これは「光の歪み」を見ていた、ということだ。

 この画像の左側には、人影らしきものはかろうじて「背広姿の男」だけなのだが、実は沢山集まっている。

 典型的なのは、石柵が押し広げられるように歪んでいることだ。

 普段は真っ直ぐに映るから、ガラスが歪んでいるわけではない。そもそもこのかたちに歪むのは今回が初めてだ。

 物理的な理由が見当たらないのに、画像が歪むのは、「前に幽霊がいて、光を歪めている」からのことがある。

 概ね幽霊が物体の前にいる時には、物体のかたちを歪める。また、生きた人間の前にいる時には、人の姿(全体または部分的)を消してしまう。(もちろん、これは「たまたま陰に隠れている」等の要因がなく、説明が出来ない時の話になる。)

 

 次の画像は右側を拡大したものだ。

 「その場にはあり得ぬ光の筋」を辿って行くと、人の姿のシルエットになる。

 まさに半透明の「プレデター」だ。

 私の後ろには、白衣(恐らく神職の着る)の男がいるように見える。

 (これが見える人はかなり少ないと思う。)

 この場所は神社の境内なので、神社に縁のある者であれば、あり得る話だ。

 

 この男は頭ひとつ分身長が高いのだが、顔が消失している。

 こういうケースでありがちなのは、顔が「別の位置に出ている」パターンだ。

 この画像では、右下のところに男の顔の一部が出ている。

 「人影のシルエットがごく薄い上に、頭が無い」ケースが最も多いのだが、これも別の位置に「眼」(視線)が出ている。

 「眼」のかたちすら無いが「こちらを見ている気配がある」というケースが最も説明に困るのだが、「眼」を複数見ているうちに、次第に視線を感じ取れるようになる。

 他者に説明する材料にはならないが、自身や身近な人を守るための役には立つ。

 

 幽霊がいるからと言って、何かしらの問題が必ず生じるわけではない。

 ほとんどの者は「通行霊」で、こちらには関りを持たない。それどころかこちらを認識すらできない状態だろう。

 関わろうとする意思のない者は無視していればよい。

 気を付けるべきは、物陰からこちらに悟られぬように「じっと注視している者」の所在になる。

 

 注)いつも通り推敲や校正をしないので不首尾はあると思う。

 ちなみに、このブログの「あの世観察」に関する記事を「毎日見る」人は70人くらいで、いわゆる「心霊写真が鮮明な時だけ見る」人が200人から500人

 そのうち、私と同じような悩みを抱えている人は5人から8人くらいいる筈だが、実質的に私が語り掛けているのは、その5~8人ということになる。

 これまでは煩わしくて仕方が無かった筈だが、適切な身の処し方を覚えれば、苦痛が苦痛でなくなる。