日刊早坂ノボル新聞

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◎夢の話 第1150夜 弔辞

夢の話 第1150夜 弔辞
 27日の午前5時に観た夢です。

 我に返ると、俺は長椅子の端に座っていた。礼服を着て、黒いネクタイをしている。
 「どうやら俺は葬式に来ているのだな」
 俺がいたのは、椅子席の七番目くらいで、実際、正面は祭壇があった。

 おかしいな。俺は一切の社交を止めた筈だ。
 じっと立っていられるのが20分、椅子に座っていられるのが30ー40分だから、冠婚葬祭には出られない。
 俺が「交流を止める」と宣言し、それを実行しているのは、現実的な問題だ。式に出たことが原因で死んで仕舞うかもしれん。
 実際、親の葬式にも出られなかった。
 「それが葬式の席に座っているとはな」
 何があったのか。
 ま、あともう少し経つと、横倒しに倒れるだろうな。

 ここに喪服の女性がやって来た。
 礼服の女性はきれいに見えるのだが、随分美人だな。
 その美人が俺の隣に座り、頭を下げた。
 「今日はよろしくお願いします」
 え。何のこと?
 何となく想像はつく。葬式の席で、遺族に求められることと言えば「弔辞を読むこと」だわ。
 参ったな。何も用意してねえぞ。
 四十五十代なら、話をするのが商売だったから、その場で何とか出来た。実際に、式の当日になり、突然、「祝辞(弔辞)をお願いします」と言われ、壇上に登る1分の間に話を組み立てたことが幾度かある。
 ま、その時にはネタ帳を持っていた。
 だが、俺が「出家」してから十年以上経つ。
 今の俺が咄嗟に話せるのは、ご法話すなわちあの世の話くらいしかねえぞ。

 「だが、たぶん、普通は前もって頼まれている。それなら紙に書いてあるはずだ」
 礼服の内ポケットを探すと、何やら書状が入っていた。
 ああ良かった。ちゃんと原稿を準備してあるわ。当たり前だな。
 その原稿を取り出してみる。
 すると、その書状に書かれていたのは、まるで梵字のような悪戯書きだった。
 「おいおい。コイツは子どもの悪戯書きか、ボケ老人の書いたものだわ」
 ここでもう一度我に返る。
 「俺はこの場所にどうやって来たか記憶がない。過去数年分の
記憶もない。それどころか、俺がどこの誰なのかという情報も欠落しているじゃないか」
 なんてこった。俺は訳が分からなくなった「ボケ老人」だわ。
 今はほんのちょっと覚醒しただけだ。
 ここで覚醒。

 目覚めてすぐに感じたことは、「これは吉夢なのか凶夢なのか」ということだった。
 その答えは「バリバリの吉夢」だ。
 夢の中の「俺」は68歳くらい。
 ということは、「あと幾年もの時間がある」ということだ。
 目覚めている時の当方の方は、来年三月頃に車椅子に乗るようになり、それからひと月後にはこの世を去ることになる筈だ。
 座敷童がくれたのは、そこまでの時間的猶予で、実際、あの子の姿(画像)は、日々、薄くなって行きつつある。
 もしかすると、この世の滞在延長の許可がまた下りるかもしれん。

 物事にはプラスマイナス、表と裏の両側面がある。
 この夢は、当方の知人の誰かが、当方よりも先に亡くなるという意味だ。脳出血心不全といった、突然の死になっている。
 「当方よりも先」というのは、あと余命僅かという意味だ。
 君はあの世に向かう準備が出来ているのか。
 最後は少しブラックジョークになったが、これくらいは大丈夫だろ。
 当方は毎日、自分の死を見ている。