日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎夢の話 第1K51夜 葬式の支度

◎夢の話 第1K51夜 葬式の支度

 二十八日の午前一時に観た夢です。

 

 「ミンミン」とセミが鳴いており、その声で我に返った。

 暑い盛りだが、俺は黒い上下を着て、座敷に座っていた。

 「ここはどこだろ?」

 どうやら郷里の親戚の家らしい。

 午後三時頃だから、如何に北国とはいえ、まだ暑い。

 

 正面に押し入れが見えていたが、中からごとごとと音がした。

 襖が開き、男が姿を現す。

 この場面は昔も時々出くわした。

 「ああ。こんにちは」

 すると男が寝ぼけ眼を擦りつつ会釈をした。

 押し入れの中で寝ていたのだ。

 「この季節にそこで寝ていたら、さすがに暑いだろ」

 すると男が答える。

 「いえ、大丈夫です。上が開いていて、風が入って来ますから、この中は却って涼しいのです」

 「そっか。なるほどね。逆に風通しが良かったのか」

 男はまた会釈をして、部屋を出て行った。

 

 程なく親戚の小母さんがやって来た。

 やつれた表情だ。急な法事で疲れているのだな。

 正座に座り直し、「この度は大変残念でした」と挨拶をした。

 ここで気が付く。

 「でも、亡くなったのは誰だろ?」

 頭がぼんやりして、あまりよくものを考えられない。

 そもそもこの家を訪れるのも何十年ぶりかだ。

小母さんが挨拶を返す。

 「わざわざ遠くから来てくれてありがとうね」

 それから俺の病気のことについての話になった。

 「この数年、あまり顔が見えぬから、皆で心配していたのですよ」

 「それはどうも恐縮です」

 ま、長らく旅行が出来る状況にはなかったから、もはや幾年も墓参りに行っていなかった。

 移動できるのはせいぜい百㌔圏内に限られる。それでもキツい。

 

 ひとしきり話をすると、小母さんが姿勢を直した。

 「では、明日は弔辞の方、よろしくお願いします」

 思わず眉間に皺が寄る。

 俺がこの家に呼ばれたのは、そういう件だったか。

 俺が「前に一度死んだことがある」のは、割と親戚遠縁中に知れ渡っている。

 その時に見聞きしたことを語っていたのだが、それも知られている。

 (こういうのは、口外すべきではないようだ。)

 このため、僧侶の語るご法話の感覚で、「故人が死後に進むべき道」を語って欲しい。それが俺に弔辞を頼む理由だ。

 叔父が亡くなった時には、葬式の当日の早朝に郷里に着いたのだが、式の途中で、突然、弔辞を読むように求められた。何も準備していないし、長距離運転で頭がぼおっとしていたから、本当に往生した。

 頭の中で「困ったな」と思う。

 ただ、祝い事の挨拶は断ってもよいが、弔辞を断るのは禁忌事項ではなかったか。

 従前は常にネタ帳を携帯していたから、それさえ見れば、すぐに話の組み立てが出来た。

 だが、事業を止めたのは、既にかなり前のことだし、ネタ帳自体、どこに行ったのか分からない。

 その上、俺はこの体だ。この暑さの中、満足に立っていられるかどうか。

 

 頭の中で「正直、今の私にはなかなかしんどい状況です」という言葉が浮かんだが、それを口にする前に遠縁の小母さんが先に口を開く。

 「▲▼ちゃんに送って貰えば、うちの※※も安心してくれると思います」

 えええ。「※※ちゃん」だと?死んだのは※※ちゃんなのか?

 信じ難い事態に、俺は小母さんに尋ねた。

 「亡くなられたのは※※ちゃんなのですか?」

 小母さんは黙って頷いた。

 

 げげげ。参ったな。俺はついさっき、その「※※ちゃん」が押し入れから出て来るのを見たぞ。

 それも二言三言言葉も交わした。

 一体、どうなっているんだよ。

 ここで俺は部屋の四方を見回した。

 「いったい、ここはどこだ。俺はどんな世界にいるんだよ」

 ここで覚醒。

 

 目覚めると、一週間ぶりに喘息症状が出ていた。息苦しい。

 夢の内容と照らし合わせると、ひとつ分かったことがある。

 私は「生死を分かつ渡り綱の上に立つところまで行ったが、内側すなわちこの世の側に落ちた」と思っていた。

 だが、その認識は誤りで、依然として私は「綱の上」にいるということだ。

 

追記)「葬儀の前後に、僧侶がご法話を語ってくれる」という慣行は、既に廃れつつあるらしい。

 葬儀代金にもよるのかもしれぬが、大体の葬儀で、僧侶は読経をすると解説も何も無く、さっさと帰る。弔いの会席に座っている時間さえ僅かになった。

 最後にご法話を聴いたのは、もはや何十年も前だ。

 どういうわけか、「相撲取りが懸賞金を貰う時の所作」の同じ話を複数の葬儀の席で聞いた。

 いずれも「あれは『心』という文字を描いているのだ」と語っていたが、当の相撲取りが語るところでは、「心という文字」ではないそうだ。

 諸説あるようだが、「報奨金を包むふくさ(または懐紙)を開く所為の名残」がもっとも確からしいように思う。

 実際のところ、褒美を与えるのに「むき出しの金」を渡すことはない。祝儀袋に入ってはいるが、さらにふくさで包むのが礼儀正しい。