日刊早坂ノボル新聞

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◎夢の話 第981夜 スピーチ

◎夢の話 第981夜 スピーチ

 三日の午前十一時に、ひと休みしようと床に腰を下ろしたら、そのまま寝入ってしまった。これはその時に観た夢だ。

 

 我に返ると、俺は道に立っていた。

 「俺は何故ここにいるんだろう?」

 何しに来たのか。

 すると、たまたま前を知人が歩いていた。

 「お。何してるの?もうすぐ式が始まるよ」

 「式。式って何の?」

 「※※の結婚披露宴だよ。ほれ目の前が式場だ」

 「※※」は共通の知人だった。

 道の向かい側に目を向けると、確かに大きなビルがある。

 礼服を着た知人は、小さく会釈をすると、道を渡って行った。

 

 「でも、俺は呼ばれてないし」

 ポケットからスケジュール帳を取り出し調べてみた。

 披露宴のメモは書いてあったが、別段、自分が出るような気配がない。葉書の返事を出したりもしていない筈だ。

 でも、ここで閃いた。

 何か連絡が滞っていたのかもしれん。

 すぐにその式場に行き、案内に訊いてみた。

 出席者の名を確かめると、予感が正しく、俺の名前がしっかりあった。

 「あれま」しか言葉が出ない。

 「何時から始まりますか?」と訊くと、開始は四十五分後だった。

 うへへ。

 ごく近しい者が「席に穴を開ける」わけには行かぬから、まずは自分の服装を確かめた。

 最近の俺は、スーツを着て外出する時には礼服を着ている。

 殆ど病院にしか行かぬから、洋服自体を買わなくなったし、「いつ死んでもさまになるように」礼服を着ているのだ。道端で倒れて死んでも、それなりにその後を進められる。

 ネクタイが白ではないからこれだけは調達する必要がある

 「あとは祝儀袋だな」

 文房具屋かコンビニ、百円ショップがあれば、まあ、ナントカ。

 だが、案内に聞くと、「周囲には無い」との答え。式場の周りが田畑や空き地で、店までは一キロある

 タクシーを呼んで貰おうとしたが、「出払っていて、配車出来るのは三十分後」だと言う。

 仕方なく、歩いていくことにした。

 

 駅前までテクテク歩き、袋を買って金を入れた。最近は、カードしか使わなくなったから、現金が二万円しかなかったのだが、構わずあるだけ入れた。

 ご祝儀に「二」はダメだよな。でもそんなことには構っていられない。

 あの会場では、かなり費用がかさんでいるだろうから、「一」では足りぬし。

 ま、勘定する方(会計係)はえてして気付かなかったりするわけだが。

 

 すぐに会場に戻り、参席の手続きをした。この時点で、俺は汗でドロドロだ。

 体中から、汗臭さが漂っていただろう。

 すると、受付のオバサンが俺に言う。

 「祝辞の方は宜しくお願いします」

 え。俺って祝辞を述べる役なの?

 トホホ。やっとのことで座れるようになったと思ったら、あと十分で式が始まるわ、その十数分後には何かスピーチをしなくてはならんのか。

 その場で「出来ません」はないよな。穴は開けられない。

 

 ペンを借り、ナプキンにメモを取り始める。

 披露宴では、NGワードがあるから、それに抵触しないように話を組み立てねば。

 さっきまでの汗が、今度は冷や汗になって来た。

 しどろもどろになるのは嫌だな。

 汗を拭きながら、ゆっくりと覚醒。

 

 昔、自分の会社のバイトの女性の披露宴に呼ばれたことがある。

 一介の客だ。

 お気楽に座っていたが、祝辞を述べる筈の「友人代表」が当日になり、「行けなくなった」と連絡して来たらしい。司会役の人がすっ飛んで来た。

 「事情があり、どうしても穴が開いてしまいますので、何とか宜しくお願いします」

 祝辞を言う人が「いません」では、主催者側が恥を掻く。

 仕方なく当方は応じたが、何せ「八分後」の時点だったから、往生した。

 「こういう事情で」とも言えぬから、かなり苦しい。

 ちょっとボロボロだったので、以後は常にネタ帳を持ち歩くことにした。

 

 叔父の葬式の時には、本当に連絡ミスだった。

 叔母が母を通じて「弔辞を読んで」と頼んだのだが、口頭でもあり、母はそれと気付かなかったらしい。

 急な話だったから、当方は深夜に出発し、午前中に実家に着いた。

 着替えをして、式場に行くと、叔母が「今日はよろしくね」と言う。

 式次第に目を通すと、当方が弔辞を読むことになっていた。

 これも穴を開けられぬので引き受けたが、十五分から二十分後には読まねばならん状況だ。しくじりも許されぬので、体中が戦慄した。

 でもま、ひとの死ぬ話や死後の話は体験談を語ればよい。そっちはインパクトのある話が出来たらしい。

 

 葬式が終わると、叔母の親族(男性)がやって来て、「本当に死後の存在はあるのでしょうか?」と尋ねて来た。

 当方はそのことには確信があるから、「間違いなくあります。死んでもそれで終わりではありません」と答えた。

 男性は当方の両手を握り、「どうも有難う」「どうも有難う」と繰り返し、お礼を言った。

 後で分かったが、その男性はステージ四の末期がん患者だったそうだ。

 考え方ひとつで死期は動くから、その男性もその後、割と長く生きた。

 この時の弔辞が変わっていたので、その後時々、火葬場での待ち時間に「死んだ後にどうなるか」という話を求められる。

 弔辞でなければ、今なら別に大丈夫だ。

 

 こういう「尋常ならぬほど緊張した経験」があったので、時々、同じような状況にある夢を観る。「その場で急に」、しかも「出来ないとは言えない」ので、心の負担が大きい。

 よって、これも悪夢のひとつだ。

 繰り返し悪夢を観るわけだが、夢だけでなく、心理的負担を抱えたまま「あの世」に行くと、同じようなことが起きる。「あの世」の多くはその者(霊)のイメージによって成り立っているが、自身の「苦しい場面・状況」を繰り返し思い描く。

 これは幽界を脱するまで際限なく続くわけだが、強い悪心を抱えたまま死ぬと、何千回もこれを繰り返す。これが本当の地獄というものだ。