日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎穏やかな休息(423)

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◎穏やかな休息(423)
 水曜に「飯能の斉藤商店に行こう」と思い立ちました。
 このところ、幾度前を通っても、シャッターが閉まっています。
 「果たして小母さんは元気なのだろうか」
 少し心配していたのです。
 店の経営者と客の関係を越え、まるで親戚みたいな感覚になっているのです。

 前に行くと、この日は開いていました。
 小母さんも中にいます。
 挨拶をして、店のことを訊ねました。
 「今年は夏から、お饅頭づくりを止めることになったのよ。秋は葡萄があるから開けるんだけどね」
 斉藤商店の本業は葡萄農園で、この売店は、あくまで葡萄を売るためのものです。
 「ああ。よかった。心配していたんですよ」
 小母さんは母よりも少し若いと思いますが、自分の身内のような気持ちになります。
 冷房の無い厨房で、饅頭を蒸かすのは、夏場はかなりキツイだろうと思います。
 葡萄を買うと、もうひとつつけてくれました。
 いつもながらスイマセン。

 そこからいつもの神社に。
 家人は「いつも同じところは嫌だ」とこぼすのですが、ダンナは物見遊山ではなく、祈祷の一環です。
 何とか、この夏の危機を乗り越えられたような気がしますので、御礼に行く必要があります。

 危機の到来を目で見せて貰えるのは、実はあり難い話です。
 普通は目に見えなければ、音にも聞こえません。自分では気付かぬうちに、あの世に連れて行かれてしまいます。
 「それを思えば、毎日が煩わしいようでも、助けになっている」
 なるほど。やはりこれが「取り得」だというわけです。
 まだ生きていますもの。