日刊早坂ノボル新聞

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◎「お迎え」への対処(575)

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令和三年四月十三日撮影

「お迎え」への対処(575)

 「あの世」の者が自分のことをどのように眺めているかを知ると、間接的に「今の自分自身が置かれた状態」を知ることが出来る。

 この場合の「状態」とは、「霊魂の状態」という文脈だ。

 身体の状態は病院で確かめればよいが、「自身の魂がどれだけあの世に近いか」はそこでは分からない。

 これまでのところ、「ひとに死期が迫れば、それを悟った幽霊がそのひとの周りに集まるようになる」ことが分かっている。そこで、幽霊側の関心の持ちようにより、自身が死にそうかどうかを知ることが出来ることになる。

 そうなると、幽霊がいるところに行き、自分と幽霊たちの様子を観察すればよいことになる。

 そこで、お寺や神社で自身を撮影するようになったのだが、光の関係と、受け取る側の感度の問題で、幽霊を察知出来たり出来なかったりする。

 この場合、最も簡単なのは、ガラスに自身を写してそれを撮影する方法だ。

 カメラは、人間の可視域よりも感応域が広いので、赤外線側に跨った存在を写せることがある。

 またガラス映像の場合、「反射光が二重に交錯する」という条件が加わるので、直接写すより捉えやすい。

 ここまでは、過去五年超、数千枚に及ぶ撮影の成果だ。

 

 だが、この先が問題だ。

 幽霊の存在を検知したとして、それがどのように関わろうとしているのかをどのように見極めるのか。

 とりわけ、「お迎え(死神)」に当たる性質の者を、どのように遠ざけるのか。

 これがまだ残っている。

 

 ひとの周りには、常に複数の幽霊が纏わりついている。

 多くはそのひとの感情の態様に反応して引き寄せられた者のようだ。

 私の肩や腰に手を掛け、あるいは抱き付いている幽霊の姿が時々写るのだが、だからと言って別段、特別なことが起きるわけではない。

 幽霊を引き寄せる原因となった「心持ち」を解消させれば、その幽霊の方から去って行く。

 ここでひとまず前提に戻る。

 肉体が滅んだ後に、意識が一定期間残るのは確実だ。かつ、物的な存在でもある。

 眼に見えずそれと認識し難いから、知られることが無かったというだけで、何らかの媒介物質が存在し、霊的存在を成り立たせている。

 その場合、怒りや恨み、悲しみのような負のエネルギーが「霊的なもの」を凝集させる効果があるようだ。

 要するに、幽霊の求心力は悪意や執着心・こだわりによってもたらされているのではないか。

 それなら、ひとが悪意を捨てれば、幽霊が共感することも無くなる。

 適宜、気分転換することで、悪縁が長く留まることがなくなる。

 ごく普通の幽霊なら、こういう対処法で良い。

 

 だが、普通の幽霊と「お迎え(死神)」は少し「質が違う」と思う。

 かつて私の前に現れた二人組の「お迎え」は周囲の景色が黒くなるほど、空間を歪めていた。

 一瞥で「これは疑いなく自分を連れて行こうとする者だ」という確信があった。

 その圧力たるや、「過去に観た最も怖いホラー映画」など足元にも及ばぬほどだった。

 あのような存在から、どうやって逃れられるのか。

 

 ひとつのプランは、やはり「先んじて検知し、掴まれぬように牽制する」というものだろう。

 「自分はお前のことが見える」「見ることが出来る」と宣言する。

 「手を触れられる距離には入るな」と命じる。

 入りそうになったら、「ご神刀で切る」。(これは相手にとってかなり嫌なことのようだ。)

 今のところ、これである程度の抑制が可能になるようだ。

 もちろん、ひとは必ずいずれは死ぬ。「身体機能の劣化」は避けられぬから、死の到来を止めようとしても止められなくなる時が来る。

 老病死は必然だから、せいぜい幾日か死期をずらすことしか出来ぬかもしれぬ。

 だが、数日、数週間の延長が、そのひとにとって大きな意味を持つ場合もある。

 

 

 画像は火曜日の通院の帰路、神社に参拝した折のものだ。

 私は自分の背後に「大きな女」がいると思う。

 もちろん、この時期だけに、鮮明に写ることはなく、ごく薄らとした影だけだ。

 これは他人には見えぬし、仮に見えてもそのひとにとって左程の意味は無い。

 専ら私に関わろうとする者だから、それも当然だ。

 「大きな女」はいつも同じ外見をしており、頭が天井に着くくらいの身長に黒いコートを来ている。

 数か月前から、ずっと背後に立ち、様子(頃合い)を見計らっているのではないかと思う。

 

 居間の中央に立たれた時の威圧感は凄かった。

 悪霊のアモン、イリス(いずれも仮称)については、「敵視せず、同じ列に立つ」ことで、まったく差し障りが生じなかったが、彼らとは少し性質が違う相手だと思う。

 ま、まだ鮮明ではなく、差し迫った段階ではない。