




◎「大きな女」の周縁 (補足)
一年前の画像に残る「大きな女」については、過去にも見覚えがある。
ざっと検索したが、あの画像の撮影時より八か月前に撮影した「花畑の女」に似たところがある。
やはり頭部が五割り増しの大きさで、肩までの髪形も同じだ。
もし各々の「大きな女」が同じものなら、双方に共通する要素は私しかない。
そうなると、花畑で接点が生じ、それ以後、「私について来た」ということになる。
私自身に関りが深い「この世ならぬ者(女)」は、「白い着物の女」「黒い女(スペードの女王)」「白い女」がおり、いずれも度々、画像の中に見掛ける。
二枚目の男性のガラス映像は、一瞥でそれと分かるのは、パーマの頭が余分にあることだ。
このため、「頭が二つあるなあ」と思っていたが、左側にも黒髪の端が見えている。
実在の参拝客の男性は白髪交じりだから、この人のものではないと思う。
要するに、「二人分の人影」ではなく、「三人分の人影」だった。
ウェブ画像では確認が困難だろうが、左側には片目も見えている。
追記)
幽霊が「生きている者」に寄り添う姿は、ガラス映り箇所よりも、実写箇所の方に出やすいようだ。
こんな風に耳元で囁いたり、あるいは頬ずりをしたり、頭を鷲掴みにしている様子を見ると、「ひとに関わろうとしている」ように解釈するのが自然だ。
幽霊たちは感情の起伏を操ろうとしているのだろうから、自身を冷静に客観視する習慣を持てば、影響されることもない。
こういう画像はごく頻繁に撮影出来る。
幽霊に「乗られる」こと自体が、ある特別な人だけでなく、誰の身にも日常的に起こり得る事態のようだ。
もちろん、それだけでは何も起きないが、何かのきっかけで具体的かつ物理的な振る舞いに及ぶことも無いわけではない。
鍵の掛かっていない扉が、突然、鉄板のように開かなくなる、とか。
電気製品(テレビやPC,カーナビなど)がコントロール出来なくなる、とか。
手足の自由が利かなくなる、とか。
このスイッチが何なのかが、まだ分からない。
どういうスイッチがどのように存在するかが分かれば、自助努力以外の関与を除外する、あるいは利用することが出来るかもしれない。
「この世」の者が幸福に暮らし、「あの世」の者が容易に苦しみから解放されるのであれば、双方がウインウインだと思う。