◎同じ女なのか (過去の振り返り)
数か月から半年くらいの間、同じ幽霊が姿を現すことがある。
場所も状況もかなり違うから、その都度、単体として眺めているのだが、実は同じ者だったりするようだ。
幽霊がひとに寄り付く時、その相手に気付かれぬように、極力身を隠す。
その場にいる者と似た姿を取ったり、その相手に似せたりする。
写真を撮った時に、一枚の画像に「同じ人が二か所に映ったりする」ことがあるが、これはこういう背景がある。
主な目的は「同化と合体」だと思うが、同一化のプロセスの中で姿かたちも同じになるステップがあるのかもしれない。そこは未知数の域になる。
令和元年から二年の間、私の周りに「巨大な女」が姿を見せていた。
画像に残る最初の事例は、某所の花畑だ。
家人を望遠で撮影したのだが、家人の体を「巨大な女」が通り過ぎるさまが写っていた。
身長が二㍍近くあるように見える。
ジーンズのジャケットのような上着を着る後ろ姿が、この手の画像にしては分かりよい。
ピントが合わぬのは、カメラの感度の境界に迫っているからで、自動ピント装置が「どれをターゲットにするか分からなくなるためだ」。
なお、こういうのも幽霊画像の判断の要素だ。うまくピントが合わず、鮮明には写らぬことが多い。
二枚目は令和二年の二月で、前の画像から八か月後のものだ。
神殿の前で撮影すると、前の参拝客の耳元に「巨大な女」が顔を寄せ、何事かを囁いている。
これは、ガラス映像ではなく、実写部分だから、かなりレアなケースだ。
(相当に「強い」という言い方も出来る。)
光の強さと照射角度により、「この世ならぬ者」が写ることがあるわけだが、たまたま日光の角度とカメラを向けた方向が適合したようだ。
興味深いのは、「体の大きさと髪型が似ていること」だ。
もしかすると、同じ者だったのではないのか。
相違点は、前者が単なる「通行霊」であるのに対し、後者が明確な意図を以て女性参拝客に近づいていることだ。
恐らくは、何らかの感情を吹き込んでいたのだろう。
もう一つの共通点は「私が撮影していた」ことだ。
以前なら、多少薄気味悪く感じたろうが、今ではもう慣れた。
幽霊は「自分を見てくれる相手」の前によりよく姿を現す。
幽霊には実体が「ある」とも「ない」とも言える。
ガラス面に「二重に映る」ことがあるという意味では、「実体がある」と言える。
一方、「サイズを自由に変えられる」という意味では、「物体」ではなく「光(と影)だけ」だとも言える。
追記)「果たして今は近くにいるのかどうか」と思った瞬間、受話器が「ぴっ」と鳴った。この受話器は電源を繋げたままだが、回線を閉じてある。
姿が見えぬのは「いない」ことを意味するわけではないということか。