日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎積み重ねが大切(556)

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令和三年一月十四日撮影

◎積み重ねが大切(556)

 今は外出禁止だが、「あの世従事者」は例外扱いにして貰う必要がある。

 「自分自身のため」ばかりで外出しているわけではないし、医療従事者に劣らぬ貢献が出来るかもしれぬからだ。

 

 買い物の帰路に、今日も神社に参拝した。

 やはり日差しが当たらぬ状況なので、撮影環境としてはあまり宜しくない。

 まず昨日の「持ち手」について確かめると、やはり通常、あの指の置き方はしていない。

 昨日は最初から左手がおかしかったようだ。実際、最初の画像にも、手の下に腕のようなものが見えている。この場合は、「私のものではない腕」という意味になる。

 

 横に走る白い線は一目瞭然で電線だ。境内にはお正月対応のため、テントが沢山出ており、その照明に繋げるために電線が走っている。

 先月にも似たような線が写ったが、あの時は「まだテントが出ていない」時のものだから、状況がまるで違う。まだセットされていない筈の電線が見えている。

 時空を超えた電線なのか(笑)。

 

 三枚目では、例によって右腕だけが異常に膨れている。

 これは割とよく起きるが、三倍くらいのサイズになるのも「ごく普通」だ。

 ガラスの継ぎ目で左右を接合・補正しても、頭よりもかなり太い。

 何故そうなるのかは、まだ分からない。

 空間に歪みが生じているから、像も歪むということか。

 

 四枚目はおそらく、ウェブ画像では見えないだろうと思う。

 さすがに一千枚以上見ていると、遠景でも「これはおかしい」と気付くことが出来る。

 その場にいたのは、私の前に二人(男女)、私の後ろに一人(女)だ。

 男性がガラスに映っているが、その先、すなわち男性の後ろに少年が続いている。

 これは室内の人の背中に重なっているから、ウェブ画像ではほとんど判別がつかないだろうと思う。

 その少年の少し上に女がいて、少年のことを見ている。

 光の加減が微妙なので、拡大すると逆に見辛くなる。

 駐車場で確認した時には、少年の顔が鮮明だった。恐らく一昨年にもここで写った少年と同一だろうと思う。

 

 画像としては、朧気ではっきりしないが、視線だけで「これは元は女だった」みたいなことが何となく分かるようになって来たのは収穫だろう。

 もちろん、「気のせい」や「想像や妄想」が入り込むことはよくある。

 そういう判断違いは、別に問題は無い。異変の発生を想定し、「何が起きても慌てぬ」ように対処することの方が重要だ。

 

 今回のは、同じ日のうちに霞み、消えて行くから、対策を講じる必要もない。

 ま、いずれはっきりくっきりと何かを示して来るだろうことは疑いない。

 とにかく、常に先方に先んじて対策を打って行くことが重要だ。

 今日の画像は、普段なら「スルーする」程度の内容だが、しかし、警戒するに越したことはない。

 今はそんな状況だ。

 

 ちなみに、浮かばれぬ「少年」がいて、それを大きな「女」が見詰めているのは、どういう状況かと言うと、「同化を狙っている」ということだろう。

 幽霊は自我・自意識を強化するために、他の幽霊を取り込む必要があるが、「行き場が無く迷っている少年」なら、格好の餌になる。

 

(追記)

 仕事専用回線をひとつに集約したのだが、もはや使っていない受話器をそのまま置いてある。

 いずれかの画像についてコメントを書いている時に、「電源しか繋げていない受話器」が一回だけ「プルル」と鳴った。

 こういうのは、典型的なメッセージのひとつだ。

 「女」について言及した時だから、たぶん、その「女」だ。

 

 俄かには信じられぬ話だ。私もこの手のは信じなかった。

 だが、現実に起きるし、「そういうことがある」と気付くと、どんどん増える。

 よく写真の中に「眼」が見えるが、あれは「自分を見ているかどうか」「自分が見えるのかどうか」を確かめようとするものだ。

 いざ「見える」となると、先方はその人を目掛けて、一層、働き掛けて来るようになる。

  この世界について、「興味を持たぬ方が無難で、関わらぬようにした方がよい」と言うのは、そういう傾向があるからだ。

 その後は容赦なく踏み込んで来るが、他の人にそれと悟られないように振舞うから、始末が悪い。

 他人はそれと気付かぬので、もしそのことを口外すれば「変人」と見なされるだけだ。

 

 ま、私のような者と一緒に温泉にでも泊まりに行けば、実際に味わえるだろうと思う。

 初めて「声」を聞いた時には「これは現実なのか」と自分を疑った。

 映画で観る幽霊が発する声より、はるかに大きく明瞭な声だ。