日刊早坂ノボル新聞

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◎私も寄り付かれていた  (一年前の振り返り)

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令和二年十一月二十三日撮影

私も寄り付かれていた  (一年前の振り返り)

 一年前の十一月に、掲示の画像を撮影した。

 参拝客の男性に「背後からしがみつく女」が、あまりにも鮮明なので、そこばかり見てしまう。

 ところが、この男性の隣の女性にも数々の異変が出ていた。

 私の周りにも不自然な影が見えていたのだが、はっきりしないため、これまで捨て置いた。

 しかし、こういう画像は時の経過と共に変化する。

 一定期間が経過した後に観察するのはそのためだが、当時は分からなかった、あるいは確信が持てなかった状況が見えて来る。

 

 まず真後ろだが、木々の影にはそぐわぬ黒い影が見えている。

 何かが変だとは思ったのだが、やはりあまり鮮明ではない。

 だが、今では「眼」が開いている。どうやら、この地に時折現れる「大きな女」が立っていたようだ。

 鮮明でないのは、複数が合体した者だからということ。

 カメラを持つ私の左手には白い煙が流れているのだが、どうやら女の手のよう。こちらは実体化する直前のものだ。

 (通常、幽霊が出現する時には、「最初に煙が出て、これが次第に濃くなり、人の姿またはその一部分に変わる」ステップを取る。)

 

 私の左側はごちゃごちゃとしており、判別が容易ではないのだが、ここにも複数が固まっていたようだ。

 「マスクの女」は割と判別可能だが、それだけに当初は「その場にいた参拝客が映り込んだ」と見なしていた。

 だが、そうなると私とほぼ同じ距離くらいにいる筈だ。周囲に人がいない状況で撮影したので、現実には存在していない。

 この周囲に「複数の視線がある」のは分かっていたが、いずれも断片的なものばかりになっている。

 光と影のバランスが崩れているから、そこに何かがいることが分かるのだが、かたちとしてははっきりしていない。

 

 この画像を初めて見た時に、真っ先に飛び込んで来たのは、私の手前にいる少女の姿だった。

 その少女の存在に気付き、画像を点検すると、すぐ右後ろに「寄り付き女」が鮮明に出ていた。

 (これはこの男性に関わる者なので、他の者にはまったく影響が無い。)

 最初に見えていたこの少女は、初めに薄れていく。今では存在感が薄くなり、他の者に浸食されているように見える。

 この少女は私に何かを訴えようとしていたのか、あるいは・・・。

 

 幽霊に「手を掛けられる」事態は、特別な異変が起きていることを指すわけではなく、日常的に誰の身にも起きている。

 多くは共感できるかどうかを確かめているだけだが、その相手が負の感情(怒りや悲しみ、恨み)を抱えていたりすると、それを助長する。ひとが我を忘れるほど激情に駆られることがあるのはそのためだ。こころが激しく共振すると、ひとの心は幽霊と合体してしまう。

 普段はおとなしい常識人が、時として凶悪な振る舞いに及んだりするのはそのためだ。

 そういう事態を避けるためには、常に「自身の気持ち・感情が果たして自分本来のものか」を観察する必要がある。

 

 仮にこのように寄り付かれていても、殆どの場合、特別な「お祓い」などは必要なく、こころを入れ替え、良心に基づいた振る舞いをすれば、幽霊(悪縁)は自ら去って行く。

 恐怖心はひとに冷静さを失わせるから、「そもそも怖ろしい者ではない」ことを肝に銘じる必要がある。

 誰もが死後に「感情だけの存在(幽霊)」のステップを経過するから、幽霊 は「怖ろしいバケモノ」ではなく「自身の将来の姿」と思った方がよいかもしれぬ。

 

 私自身のことで言えば、幽霊に寄り付かれるのには「もはや慣れた」と言える。

 少し幸いなのは、目視したり声を聞いたりすることで、断片的にせよそれを客観的に知ることが出来る点だ。

 

追記)幽霊に寄り付かれた時に生じる影響

 幽霊が寄り付くと、「人事に影響を及ぼす」ことはある。何気ないことを言っているつもりなのに、それを聞いた人がそれを悪意として受け取ることがある。まったく別の意味に解釈されることも多い。

 これは、その人と関わる者の「こころを歪める」から起きる。

 「電磁波や電気機器の異常」を引き起こすこともある。幽霊の存在に関わる物理的要因のひとつに電磁波があるためだろう。

 私は幾度か「カーナビの誤作動」を経験しているが、「機器の障害」で起こり得る性質の異常ではなかった。まったく別の方向を目指したり、同じ場所をぐるぐると回らされたりする。

 回線が繋がっていない受話器が「チリ」となることもあるが、何か別の要因があるのかもしれぬ。

 「物が動く」ことも無いわけではないが、それほど多くない。「本が落ちる」「瓶が倒れる」「ドアが開かなくなる」類のことだが、多くはひとが冷静さを欠いている時に起きる。

 映像で観る限りでは、心霊ビデオの大半が捏造だが、私は現実に体験しているから「ない」とは言えない。