◎古貨幣迷宮事件簿 文久永宝の密鋳写し
以前にも掲示したと思うが、最初の画像の中央は、鉄銭の間から発見したものだ。
鉄銭の間に銅銭が混じると、痛みが早くなりボロボロになりやすいのだが、これは割とまともな方だ。
鉄錆が移ったものか、鋳砂が残ったものかは定かではないが、黒い砂状の粉がこびりついている。ま、概ね後者だろうが、あまり良くない砂を使っていたようだ。
密鋳銭の場合は、面背よりも輪側を見た方が分かりよい。銭径の大小変化は様々だが、輪側については文久銭は一様に横鑢だ。これは大量に製造するために、専用の研磨器具を使用したためで、輪側線条痕に変化はほぼない。
密鋳銭の場合は、大掛かりな銭座では、やはり専用器具を使うわけだが、各々の銭座によってやり方が違うから、その銭座特有の痕が残る。山内には山内の、葛巻には葛巻の流儀がある。
これが、「村の鍛冶屋」的な小規模の鋳銭になると、仕上げがかなりいい加減になる。概ね「手掛け」で、銭の方ではなく鑢(粗砥)の方を動かすから研磨痕が揃わずランダムな縦斜めの筋が出来る。
この品もそういった小規模密鋳銭のようで、恐らく主力は鉄銭だったのだろう。
「とりあえず作ってみた」という程度かもしれぬ。
枝からペンチのようなもので銭を折り取った痕が残っている。
見すぼらしいが、歴史の証人となる。
文久写しはほぼ銅銭だが、鉄は湯流れが良くないので、文久銭の厚さでは、鋳不足が生じがちだったからだと思われる。鉄が潤沢にあれば、二枚重ねで厚めの母銭を使えばよいのだが、そんなことをせずとも明和の改造母を使えば用が足りてしまう。