日刊早坂ノボル新聞

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◎古貨幣迷宮事件簿 「大型和同鉄銭、その他」の質問への回答 その2

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鉄銭あれこれ

◎古貨幣迷宮事件簿 「大型和同鉄銭、その他」の質問への回答 その2

 さて、質問と回答の続きになる。

 左の小様銭は、砂鉄製ではないかと思うが、谷の肌が灰色に残っている。砂も良いし、背がきれいに抜けているので、正直、判断に困る。

 前回に記した通り、たたら炉で砂鉄から取り出した「づく鉄」に類する鉄地金は十数種類に及んでいる。高炉でも同様でこれも十数種類に分けられる。その中には当然ながら、よく似たものが含まれる。

 これを補強するのは、「その他の状況(要因)」になる。

 比較的、素性が分かる品と引き比べて見て、少しずつ推測してゆくしか方法はない。

 二番目の画像は、古色を見るために窓際に置き、変化を観察するものだ。これには数年から十数年かかることもある。出来立ての色は、経年変化により大きく変わることがあるのは、十円玉を見れば想像がつく。

 

 鉄銭を差し上げたわけだが、あれは、あの状態で保存されていたわけではない。

 通常は、銭質が揃った状態で仕舞われている。高炉製であれば高炉製のみ、砂鉄であれば砂鉄のみ、バラ銭で流通していれば混じっているわけだが、あれこれ混在するものは、明治以後、かなり後になって整理のためにそうされたことが多い。

 密鋳鉄銭の場合、交換比率が下がったので、まとめて使用されることが多かった。

 なるべくウブ銭の状況を見ろと言うのはその点だ。

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様々な鉄銭

質問02への見解 

 次に、簡単にメモ書きしたと思うが、「最初に探すのは本座銅銭(多く明和)を母銭改造した銭種」になる(改造母)。これはほぼ「砂鉄製」ということで、浄法寺山内座ではない密鋳銭をより分けることが出来る(山内でない民間密鋳)。

 山内座では、藩が鋳銭を主導していたから、背盛・仰寶の母銭を持っていたし、これを独自に展開出来た。あえて改造母を使用する必要はなかったわけだ。

 一方、純粋に民間の企てになると、幕府密偵の他、藩の役人にも知られたくないことになる。藩自体が銭の密鋳を企てているが、取り締まる立場でもある。一応、幕府に見せるために、時々、密銭の犯人を捕縛してもいた。

 

 一方、民間の密鋳銭は「総て砂鉄製」であるから、これとの照合により、「砂鉄由来の銭」「そうでない銭(高炉鉄)」の尺度たり得る。深川俯永や小字の写しの金質に近似していれば概ね「砂鉄由来」と見込むことが可能になる。

 そこで初めて、高炉鉄と砂鉄の間に線を引くことが出来る。

 繰り返し言うが、ここは「判別出来る場合がある」という程度だ。こと密鋳銭には、似ているものや例外品は必ず存在する。

 

 次に「銭種」だが、数は少ないが、銭座固有の銭種と見て差し支えぬものが存在している。例えば藩鋳銭では、「仰寶大字」や「広穿」は「概ね栗林製」と見込むことが可能だ。

 この他に、各々で母銭を形成する際に変化が生じる場合があるから、「母銭型との照合」が役に立つことがある。 

 「背盛異足宝」などは、山内座で展開した型であり、山内固有の銭種になる。

 また、山内座では、大量鋳銭を目論んだので、短期間に数多くの銭を製造したが、このため流れ作業的に大急ぎで母銭を作る必要があった。結果的に、何らかの「手を加える」度合いが高まっている。輪側を削ったり、穿に刀を入れたり、面文を加刀調整したり、などと言う変化だ。

 こういう加刀による改変は、高炉を持つ本座では、それほど多くない。

 ③では銭径が大幅に縮小しているが、何故小さくしたかは銭座によって事情が異なる。

 栗林では「当初は銑鉄を橋野から買い入れていたので、材料を節約したかった」。

 大橋では「銅原母が手に入らず、大迫の汎用母を基に増やした」。

 山内では「大量鋳銭を目指したので、とにかく母銭を数多くつくる必要があった」。

 これが母銭の製作に反映されている場合もある。

 ここでは「場合もある」という解釈が必要で、「要因は常に複数ある」と思うことが大切だ。出来銭が「ゴザスレだから」「小さいから」みたいに、単一の特徴を持って出自を判断出来るケースは、それほど多くない。

 繰り返すが「子からその親を推測できるケースは少ない」のだ。「手の上の銭で多くを語ることなかれ」ということ。

 

 掲示した④⑤は、山内座固有の母銭があるケースだ。変化には、「鋳造工程によりたまたま生じた変化」「母銭の特徴が反映された変化」とがあるわけだが、④面が右にずれている型も、⑤盛字の上に線が走っている型も、母銭段階からの特徴になる。

 ⑤はかつて母銭を所有していたのに、コレクションとして見すぼらしかったので簡単に手放してしまった。後で鉄銭が見つかり、頭を抱える結果となった。

 斯様に、変化が「偶然ではない」こともあるから、注意が必要だ。

 ただ、銭種とその変化に気を取られ過ぎると、密鋳銭の分野では数限りなく出て来る。あっという間に五百八百に増えるから、母銭と通用鉄銭が一定数揃っているものに留めるべきだ。やり過ぎるとどんどん目に付くので、整理がつかず逆につまらなくなる。

 幹が分からぬのに、葉の多様さを見ても詮なし。

 

質問03 密鋳一文銭写し

 よく気が付いた。この品を入れたのは意図的なもので、「地金を見せる」意味があった。

 これは軽米大野の鉄になり、砂鉄製にしては「練が良い」のが特徴だ。

 大野鉄山で「たたら炉製鉄」に従事した者には、石巻に出稼ぎに行っていた者が中心だったと言うことかもしれぬが、製鉄自体はそれより前から行われていたから、「熟練していた」「熟練した者がいた」ということだろう。

 大野七鉄山の砂鉄はかなり上質で、鉄製品には独特の味がある。葛巻(八戸)や二戸目寛見寛座(盛岡)とは質がまるで違う。

 ただ、砂が良くないことが多いので、この銭ほどすんなり抜けている品は少ない。

 

 もはや三十年は前になるが、軽米資料館を幾度か訪れたことがある。

 驚いたことに、当時は展示物が雑多に積まれていて、直接、触ってみることが出来た。おそらく管理する予算があまり無かったのかもしれぬが、素朴な鉄製品など古民具が多かったということもあろう。

 「掛け仏」の鉄の味と来たら、未だに手触りを忘れぬほどだ。

 残念ながら、これが大野鉄山の鉄だということに気付く人は殆どいない。

 見すぼらしい密鋳鉄銭だが、次の入手機会は「ほぼ無い」と思った方がよい。

 ちなみに、バリは湯口そのものではなく、笵ズレによるものだ。他にも輪の所々にバリが出ていることで分かる。

 鉄の枝銭は、砂型から取り出すと、まだ熱いうちに枝の部分を金槌で叩く。すると、銭がバラバラと落ちる。いちいち切り離してはいられぬからだが、「湯流れを良くする」ことと、「落としやすくする」ことのバランスを取るのが「技術」のひとつになる。貨幣としての通用目的の銭で、湯口を拡げているケースは皆無だ。

 称浄法寺鋳放銭に多くの収集家が違和感を持ったのは、湯口が広ければ、各々を鏨で落とす必要が生じ、効率的ではないということによる。しかし、「貨幣として使用する意図ではなかった」とすれば、湯口の説明は簡単につく。もちろん、製作年代は分からない。繰り返すが「出来銭だけで多くを語り過ぎぬこと」が肝要だ。

 

 質問04 文久鉄銭 

 出雲地方は、昔からたたら製鉄の拠点だった。素材として鉄を利用出来るのであれば、鉄銭が登場した後、誰かが「作ってやれ」と考える。

 地元の収集家・研究者の見解を聞きたいところだが、この品はひと目で「南部銭ではない」ことが分かる。製作の話ではなく、それがどのように出た品かを承知しているためだ。

 「南部銭ではない」理由は、「流通していない」「出雲地方で発見された」ことによる。

 もし使用しようとすれば、鋳不足が影響し、直ちに割れてしまう。

 鉄の産地で、ほとんど流通しない鉄銭がウブ銭から見つかったのであれば、「その地で作られた」と言える可能性が高くなる。

 次に銭容に眼を転じる。

 この品は、文久銭をそのまま鋳写しているが、型を採った元の銭が薄いので、出来銭も薄くなり鋳不足が発生している。

 文久銭の鉄写しが作られた他の事例を眺めると、その大半が浄法寺銭だ(山内座かどうかは分からない)。浄法寺の文久写しは、いずれも厚く仕立てられており、文久本銭よりも厚い。「本銭よりも厚い」のはおかしいと思うだろうが、理由も製造法も簡単だ。

 「元の銭が薄く、そのままでは摸鋳に適さぬので、二枚を重ねて型を採った」ということだ。面背のズレが少ないので、「貼り合わせた」のかもしれぬ。

 南部地方の銭の密鋳では、鋳不足のある品は、概ね廃棄銭にしている。再度溶かしてもう一度作った、ということだ。これは、そうでなくとも交換率が低いのに、落ち度を見付けられれば、さらに注文を付けられるという理由だろう。

 そもそも、鋳不足があれば重量が軽くなる。一枚ずつ見ることはしないだろうが、重量を計測すると「足りなくなる」のは一目瞭然だ。

 

 さて、前回「数学を学べ」と書いたが、これは視角として重回帰モデルの論理的思考が必要なためだ。今は気に留めずとも良いが、将来的には必要になって来る。

 必ずしも「言えぬ」ことを結論付けてしまうケースを防ぐには、いずれ論理の組み立て方を学んで置いた方がよい。今のうちは気にする必要はないが、二十歳を過ぎた頃に思い出してみるとよい。

 さしあたっては「考えるな。感じろ」という方針で良いと思う(「燃えよ、若者」)。

 あとは「すぐに分かろうと思うな」「性急に結論を求めるな」と付け加えておく。

 十の事例を見ても一が分からぬことが大半だ。「分からぬ」ならまだしも、「一をもって十を語る」ような愚は避けねばならない。

 鉄銭なら誰も真面目にやっていないので、まだウブ銭が手に入る。いずれはそれを入手し、じっくり手で触ってみるとよい。

 最初の難関は石巻銭で、来る日も来る日も石巻銭に当たってしまい、ほとほと嫌になる。(石巻銭をけなしているのではないので念のため。「数が多い」ということ。)

 

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 最後にもう一度記すが、「十代二十代の若者が専心すべきことは、古銭収集ではない」ことだ。視野を拡げ、心を磨くこと。可能ならスポーツで都道府県大会くらいには出場することを目指せ。文系の学生科学賞でもOk。

 これはたぶん、お父さんも同じことを言っていると思う。

 私も自分の父に同じことを言われ続けたが、一度も従ったことが無い。だが、年を経て、今は「その通り」だと思う。

 

注記)いつもながら、上記は書き殴りで推敲や校正を一切しない。このため、表現の不首尾や記憶違いが時々発生すると思う。