日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎イリス三姉妹(続き)と「御堂さま」

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◎イリス三姉妹(続き)と「御堂さま」

 いわゆる「心霊写真」の特徴として、「時間の経過と共に変化する」ということがある。

 多くの場合、少しずつ薄くなって行く(希薄化)のだが、逆に全部または一部が鮮明になったりすることがある。

 このため、半年一年が経過したら、必ず過去の画像を点検するようにしている。

 

 「変化する」という具体例になるのが、イリス(三女候補)の「白い女」の画像だ。

 この「白い女」は、「白いノースリーブのワンピース」を着ていることが多い。

 令和元年十月の画像(左側)では、白い顔の女が後ろから私に抱き付いていたのだが、左腕(ガラス映りなので見えた向きとは逆になる)と顔の一部しか見えない。しかし、それまでにも同様のケースがあったので、それらと「同じ女」と判断した。

 私の後ろには十幾つかの幽霊の隊列が続くのだが、その先頭に立ち、私に触れているのが「白い女」と右側の「白シャツの男」になる。

 つい昨夜、改めてこの画像を見返して見た。すると、「白い女」は前より少し前進し、女の胴体が私を突き抜けようとしている。

 よく見ると、「白い女」の乳房や臍が私の前に出て来ていることが分かる。

 となると、「白い女」はワンピースを着ていたのではなく、全裸だったようだ。

 やはり、令和二年三月の「ノースリーブの女」(前回の画像右)とは別の幽霊だったことになる。

 

 さて、イリスとは別に、繰り返し現れる「女」の幽霊がいる。

 ただし、こちらは悪縁(霊)ではないと思う。最初に現れたのは声だけだったが、平成末=令和元年頃に集中して姿を示した。

 体の大きさから言うと、イリス次女に近いのだが、白い着物(もしくは巫女着かガウン)を身に着けているようだ。

 この「女」が現れるのは、いつも私が体調を崩している時なのだが、直後には著しく改善される。

 そのため、私はこの「女」のことを、現れた最初の地の名を取り「御堂さま」と呼んでいる。

 いつも同じ「女」なのかどうかは分からぬが、毎回私の背中にぴったりと付いている。

 

 今回、この「御堂さま」の背丈を確認するために、画像の中の私の背丈が同程度になるように修正し、画像を並べてみた。「御堂さま」の背丈はやはり私よりかなり大きく、百九十センチくらいあるようだ。 

 ま、幽霊は「光の照射量や角度によって可視化される」ものだから、「体の大きさ」自体は光によって変化する。大小はあまり関係が無いとも言える。

 

 ところで、ふたつの画像には、それぞれに「鎖か縄のような筋」が見えており、その意味をどう解釈するか思案させられていた。

 今回、私のサイズを調整し、「女」が左右に並ぶように配置してみたのだが、各々の画像の中の「鎖」がぴったり繋がっている。

 この「鎖」は右側の「女」の手首と私の腰を結んでいる。

 そこで「もしかすると、あの世では夫婦のような関係なのかも」と思ったりもするのだが、それは恐らく「運命の赤い糸」から連想したものだろうと思う。

 いつか私がこの二つの画像並べてみるだろう、と予期していたわけではあるまいが、偶然にしても、かなり出来過ぎである。

 

 実際、それぞれの写真を撮影した直後に、「この鎖(縄)は何だろうか」と首を捻っていた。

 それなりの答えが出ると、「なるほど。それで助けてくれるのか」と少し納得する面もある。

 

 私の身近に現れる幽霊は、圧倒的に「女」が多い。

 「生身の女性はほとんど近寄らぬのに」と不満に思ったりもするが(笑)、もはやそういうことを考える年齢でもなくなった。

 

 追記)「御堂さま」が直接手を出して説助けてくれることは無いのだが、何らかの示唆を与えてくれる。最初の時の「声」を記憶しているので、それと同じであれば、「自身の妄想」でも「悪縁の誘い」でもないことが分かる。

今回、「この女の名はイリスと言う」と教えてくれたのは、この「御堂さま」の声だ。

 

 あの世には、ひとを「無条件に見守り、助けてくれる」ような存在はない。

 「守護霊」など存在しないのだ。よって、これを語る者は「あの世のことなど何一つ分かってはいない」という証明になる。

 ただし、人が「瞼を開き、耳を欹てる」のであれば、自ら進んで手を差し伸べ、「友」や「仲間」「味方」を作ることは出来る。もちろん、そういう者が直接、手を差し伸べ助けてくれることはない。

 生前も死後も、自身の運命は「自ら切り開くもの」だ。

 

 さて、時々、自分の中から糸のような縄のような鎖のような筋が出ているのを見付けることがあるのだが、今回、「その先には誰か味方がいる」ということが分かった。

 あるいはそれも生死を超えた宿縁なのかもしれん。

「あの世では夫婦」というのは感覚的に分かりよいが、私の場合は「妻」の立場になると思う(少しトホホ)。